「比較福祉の方法」はすごい本だった

ブックオフで安く手に入れた本、「比較福祉の方法」。積ん読していて、中々手が出なかった。度々の断捨離になぜか生き残り、先日ふとパラパラとページをめくってみた。海外の福祉情報が紹介され、それを比較するのだろうと思っていた。ところが、全く違っていて、これはとんでもない本だった、、!

冒頭から各所に会話が載っている。誰だか知らないおじさんの頭部の写真が10枚位並んで載っている。後ろの方では、ビートルズのバンドスコアが抜粋されている。、、?なんだこれ? グラフや表はあるが中世のフランスだったり、九州の地図が載っていたりする。

著者は久塚純一氏。初版の2011年当時は早稲田の社会科学総合学術院教授とのこと。福祉系の研究の道も夢想したりするが、この教授のもとで学んでみたかった!系譜を継いでる方はいないだろうか、、?とまで思うほど、良い本でした。

冒頭からぶん殴られる。筆者は福祉の世界にはお約束が、あるという。それは『福祉についての研究や実践を根本から疑うことはしてはならない』というもの。それに気づかず我々は日々無自覚に実践してるのだ。こうなっている構造を、著者は「福祉の大衆化」をキーワードに鮮やかに解き明かしていく。

ざっと私なりの解釈でまとめてみたい。福祉の大衆化=誰もが福祉について考えることのできる時代となり、福祉や、介護はは「大事なこと」として、価値が付与されることになる。それは現場の不足状況と関連して、マンパワーの向上、資格の創設という流れにつながる。すると、技術の向上といった分野ばかりが価値を持ち、その根本について疑問を持つことが難しくなる。

根本の疑問とは、例えば。介護保険は要介護認定で判定するが、その基準は果たして正しいのか?どういうプロセスを、得て決まったのか、またその権威を与えているのは誰か?を、考えること。そんなことを、考えるより認知症で困っている現場の解決策を、考えるのが先、介護職を増やす議論をする方が先だという空気が先に立ち、それが前提になっている。そのことに無自覚に議論や実践が始まってしまっているのではないかという問いかけにまさしく無自覚だった私。

もし、あなたが福祉での仕事や、介護の話題で何かモヤモヤしたものを感じてるとしたら、この本はヒントになるかもしれない。少なくとも私はホッとした感覚がありました。 介護福祉士の専門学校で学んだのですが、あれ?これってどういうこと?などという疑問が生まれても、実技テストやレポートをクリアしなければという圧を感じて押し殺していた部分が有ったので。

この本には繰り返しポイントとなる著者の主張が出てきます。
「書かれたものを見れば、書いた人の位置が分かる。」頭髪の写真はこれを分かりやすく表現した例でした。
「議論の前に、その定義がどこから来たのか、誰が決めたのか考える」『障害者』とは誰が決めたのか。視力検査の成り立ちを紹介する章はスリリングでもありました。
「その人でない立場の人が果たしてその人を表現できるのか」総体を表現する例で、ビートルズのスコアが出てきます。本人を、抜きにしたケース記録とは何なのか。実際は一部なのに全体を表現してると思いこんでいないか、、(!)

これは再読しよう。紹介しきれなかったですが、制度についても多数書かれており、介護保険の制度について考えるきっかけにもなりそう。フランスの医療制度、そうなの?!という驚きもありました。また、再読して気づきがあればどこかで書きたいと思います。