認知症とは。

認知症の定義について書いてみたい。

認知症とは、①原因疾患があり②脳そのものが壊れ③一度獲得した知的能力が衰退し④起こる生活障害の総称である。

今日は認知症を結論部分から考えてみたい。認知症とは?一言でいうなら、「生活障害」である。

生活障害って言われると、脳梗塞で麻痺した身体もそう。足を怪我して松葉杖ついてることもそう。手の親指使えないと不便になるのもそう。
では、それらと、認知症の生活障害とはどこが違うのか。体は元気、でも脳が認知症だと、何が困るのか?

それは、人間の高次な脳機能、知的な能力が壊れてしまうことに関わってくる。今日がいつかわかる。ここがどこかわかる。目の前にいる知り合いが誰かわかる。道具の使い方がわかる。周りの状況から今はどう振る舞ったらいいかわかる。などなど、、、。

これらが、うまくいかなかったらどうなるか。きっと毎日困難を感じることはイメージできる。生活障害と言ってさしつかえないだろう。認知症になることは脳の高度な機能が発揮できなくなり、生活を送ることが困難になるのだ。

生活するってそんな複雑なことだったの?人間の脳はそんな複雑なことを難なくこなすことができていたんだ。

言い換えると、認知症を知るということは、生活を知るということであり、それを成り立たせる人間の奥深い知的能力を知ることである。
ただ、それを私たちは無意識に行っている。無自覚な能力だからこそ、気づきにくい。だから認知症の人が何で困ってるか分からないのだ。

とつとつダンス、、、介護のような、ダンスのような

2017年9月30日

老人ホームでうまれたとつとつダンス

ダンスのような、介護のような  砂利尾理

を読みました。

読書の感想。

・介護とダンスを並列にするなら、介護職の私からすれば

ダンスするように介護する だろうか

・この人は、越境する人だ。決まり事を壊し、ダンス相手のことを困惑させ、そこから生まれるものを求めている。この人こそ、コヨーテだ、トリックスターだ。

その原動力は昔から、自伝部分でも語られている閉塞感だ。

・待つことの大事さがくりかえし現れる。ダウン症の方どうしのダンスでずっと立ったままになったのを素晴らしいとほめる。

・この人は自画自賛の癖がある。子供のころからそうだとのこと。でもだからこそ、認知症の人や障碍者とのダンスに良さを見出すことができるのだろう。自分の欠点を見つけ高めることに意識を向ける人は、技術向上、高みを目指すダンスに向いてる。どっちがよい悪いではない、どっちが向いてるかどうか、だ。

・とつとつダンスというのは決まったかたちのダンスではなく、一つのアートプロジェクトの総称だと考えると分かりやすい。舞台の発表だけでなく、ホームでのワークショップ、哲学カフェなど領域を超えて行われる営みすべてを含む。

・日常で見捨てられるディスコミュニケーションに目を向ける。そこに価値を見出す。

・本屋で見つけて買った。すぐ買わなかったし、買ってもすぐに読み始めなかった。なんでだろう、こんなにヒットして自分のテーマにもリンクする本なのに。

それもタイミングがあるということか。僕自身、そして本自体が読まれる時期が来ることを待って いたのかもしれない。

・本文の中に出てくる本や筆者名。すべて読んだことがあったり、本で持っているものばかりだった。

・筆者がワークショップを行う老人ホームのスタッフについての批判が心に残る。

その笑顔、子供に話しかけるような話し方、なんとも言えない居心地の悪さを感じたということ。

居心地が悪い。それはあるんだよなー。それを見ないふりをして、介護職らしいスタッフとして演じているということか。

・最初に感じていたとまどい、を思い出させる。もっと戸惑っていればいいのか。笑顔じゃなくふれあってもいいのではないか。

・ダンス作品を作る際に、ペアを組む人と2年くらい、ずっと対話していたとのこと。ここが面白いなー、と思った。大学の生徒にも、どう思った?どう感じた?とずっと質問しているらしい(質問魔のじゃりおさん)

・一緒にダンスを作るというのはそういうことなのか。とすると、介護もダンスだとしたら。一緒に介護する人と、何が好き?どんな本を読んだ?と聞くことが必要ではないか・

・介護施設では、介護技術とかの研修はあるが感性を磨く場所がない。

 

 

 

記憶の海の釣り人

釣りざおをもって桟橋に出る。
視界一面は海。静かに波を打つ水面が見えるだけ。
小さい腰掛け椅子に座り、餌をつけず投げ入れる。

よっと、、、引っ掛かったぞ、よいしょ。

そうそう、キャベツだ。この、薄い緑色と白の混じった丸いもの。

よっと、、、。

ボールペン。

昨日の晩御飯。

日本。

卵焼き。

子どもの頃の夢。

不思議だな。こんだけ広い海なのに、どこに、何が沈んでるか何となくわかるんだ。あの辺りかな?って思って針を投げ入れると、ちゃんと引っ掛かかってくる。

なんとなく、昔のことは遠く、最近のことは近くにあることが多いけど、気のせいかもしれない。

いちど確認したら、すぐに海に戻す。キャッチ&リリースだ。もったいないって?平気だよ。いつだって好きなときに釣り上げることができるんだから。

さあ、今日も一日、棹をふる。

記憶の海にて

私たちは、普段忘れ続けている。
今で忘れてたのに、例えばそうだな、今いる場所は?と問いかけたら、世田谷区の、東京の。日本の。地球の、銀河系の。と、思い出す。そして次の瞬間また忘れる。まるで釣った魚を海に離すように。

そのことは、今意識するまで忘れていたのに、意識すれば思い出せる。そして、思い出せるということを私は知ってる。
だから安心してぼーっとできる。忘れ続けることができる。記憶の海にいつでもアクセスできることを知ってるから。

その、安心感を私たちは無意識に感じてる。認識してようがしてまいがそうなのだ。

もしそれを思い出せないとしたら、どんだけ不安なんだろうか。認知症と共に生きる方々が不安を訴えるのはその証明ではないだろうか。

私のなかに。あなたのなかに記憶の海は存在してる。

千の言葉より一つのジェスチャー

先日、利用者さんにお薬を飲ませようとして、悪戦苦闘していた。
「これ、食後のお薬です。」
「あら、ありがとう」
「置かないで下さい、粉薬だからお口へ入れましょう」
「そうね」
「ああ、ご飯にかけないで!」
「これなんなの」
「お薬です」
「飲んだことない」
「いつも飲んでますよ」
「あなた飲んで」
「いやいや。あのですね、、」

、、と言葉でいくら必要性を説明してもわかってもらえない。そんな時に

こうやって飲んで下さい

と、粉薬を飲むジェスチャーをしたら、一発で飲んでくださった。

お耳が遠い+認知症で現在の状況に見当をつけることが難しいかた。

たった1つのジェスチャーで伝わることもある。

ふれる その2

私前職はミシンの会社だったんですけどね、そこで、社内の洋裁部に入ってまして。(男一人だけだった)まあ、そこで洋裁の先生から教わったアイロンのコツが、アイロンはかける時間×押し付ける力×温度でしわの伸びが決まるのよ、ということだった。

何の話かと思われるでしょうが、これが前回の記事のふれる技術に通じるんじゃないかと思いまして。

ふれる、で必要になる要素を考えてみました。

まず、時間。長くふれるかすぐ離してしまうか。

次に面積。指先でふれるのと、手のひら全体でふれるのとは違う。

あとは、声かけも大事。いきなり無言でふれるのと、○○さん、とゆって触るのとは違う気がする。

以前何かのワークショップで、肩、といって肩にさわる。うで。といって腕にさわるワークをしたことがあった。単純なんだけど結構自分の中で発見があった。

あと、手の温度も関係してくるかもしれませんね。

ふれる

仕事していて、人の身体にふれる場面が介護は多いことに気づいた。こんなに多い仕事って他にあるだろうか?トイレ、入浴、起床、着替えなど。

ということは、ふれることを技術として高めなければならないんじゃないか。相手に不快にさせない、安心させる触れ方。意図が、伝わる触れ方。

介護の基本の一つは、「ふれる」ことだ。

ジャンプする前の助走

私は少年マガジンでもサンデーでもなくジャンプ派で、恥ずかしながら30過ぎても隔週で買ってるのですが、以前連載していたトリコって漫画がありまして。それはグルメをテーマにしたバトル漫画で、レアな食材を見つけて主人公が自分のフルコースを埋めていくというストーリーでした。

いきなりなんの話かと思われるでしょうが、これから私介護者向けのワークショップ(あるいはグループワーク?)をやっていくのですが。そのプログラムを考えている時に、こう、、トリコ形式はどうだろうと思ったわけです。

オードブル

スープ

魚料理

肉料理

メイン

サラダ

デザート

みたいなのを、ワーク内容を探していくというのはどうだろう。
それで今回、オードブルを「ふれる」に決定したことをここにお知らせします。

大丈夫

最近の私は失敗したり、忘れ物したり、が多い。落ち込んで自分を責めてしまうが、こんなときは、ああ、職場の認知症の入居者さんは、こんな気持ちでいるんだな、。と思うことにしてる。

すごく要領よくて、ミスがない人は、落ち込んだり、みじめな気持ちになる経験をしていないから、認知症のひとの気持ちが分からないかもしれない。

相手に共感できるために必要な経験ができて良かった。

帰ろかな

介護職の私。職場で認知症の方、帰りますとおっしゃることがよくある。

先日お聞きしたご家族の話。自宅にいても帰りますと言うんだそう。

実際にご実家が近くにあるのでそこに連れて行っても「ここじゃない」という。記憶の中にあるかやぶき屋根の家のことなので、現在の家に行っても違うと認識されるのだそう。

こういう話はよく聞くが、いつもせつないなあと思ってしまう。決して帰れない懐かしい暖かい我が家、、。

もし認知症の方に帰ります、と言われたらさてどうするか。
びっくりしたりあせって「ここがあなたのうちなのよ!」と説得しようとしても、きっとうまくいかない。余計頑なに主張されることだろう。

職場で私は、、「そうですか~帰るんですね~」と、笑顔でのんびりと答えることにしてる。その間、頭は高速で考えている、次の回答でどの方向にもっていくべきか、、、

①帰ることのできない事実を現実のまま伝えるか?
②相手の気持ちに寄り添う理由を作るか?
③帰りましょうと一緒に外に出てひとまわりするか?
④その他

その方法(引き出し)の優先順位をつけて、一番目がだめだったらこれをして、それでもだめならこうして、、、などを瞬時にシュミレーションをして、の一言。
「○○さん、今日はお迎えが来ますってさっき電話がありましたよ」(事実ではないけど、電話があると聞いたらひとまず納得されるんじゃないか、、短期記憶障害があるからこの話も忘れてもらえる可能性が高い)
「え、あらそうなの」(おっ、そんなはずないって怒らないぞ。これならお手伝いしてもらえそうだな)
「そうなんですよ~。待ってる間、私と一緒に料理してもらえませんか?」
「いいわよ」
(手を使う作業に集中したあとは帰宅のこと忘れてることが多いから、今回もそれでいこう)

みたいな感じで対応させていただいてますね。

書いてみて、対応の単なる方法論よりも、その対応を選択するにいたった思考プロセスの方が大事だということに気づきました。