マンガ認知症 を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

5冊目:マンガ認知症 ニコ・ニコルソン/佐藤眞一

家族介護の経験のある漫画家さんと認知症心理学の研究者とのコラボ本。マンガと解説が交互にあるので読みやすい。心理学の観点から、具体的な対応策が書かれてあり、知らなかったこと、現場で活用できそうなアイデアもありました。ただ、特効薬的なことはなく、やはり地道なケアが必要ようなんだな~という感想。

認知症全般の解説から、認知機能についての解説もあり、最初に読む本には最適かと思います。最後に症状からの索引がついているのが画期的!

気になった部分。

・老年行動学、「認知症の事例を集めて三千里」

・家族が困っているのは本人が困っているから。本人が楽になれば家族も楽になる。

・大阪大学の今も事例検討会を月一回行っている。

・認知症とはなにか、の定義。DSM-5(アメリカの精神医学会の診断マニュアル)に基づく。「3つの条件:①何らかの脳の疾患により②認知機能が障害されて③生活機能も障害される」うつ病やせん妄などは除外診断する。 例:①アルツハイマー病で②見当識障害により③トイレを洗濯機と間違えて服を入れてしまう

・認知機能は6種類:①複雑性注意(2つのことを同時にする)②実行機能(予定を立てる・暗算)③学習と記憶(短期記憶:新しいことを覚える。長期記憶:言葉の意味がわかる。自分の経験を覚えている)④言語(相手の名前を思い出せる。相手の言いたいことが理解できる)⑤知覚―運動(空間認知:迷子にならない、服が脱ぎ着できる。視覚認知:人の顔がわかる。)⑥社会的認知(思いやりを持てる。相手の表情から感情を読み取る。我慢できる。暴言をはかない)

・認知症は介護や家族の支援を前提にした診断基準になっている珍しい病気。

・老化の物忘れは「思い出せない」、アルツハイマー病による認知症の物忘れは「覚えられない」の違い

・現代は認知症の診断にMRIが必須になった。認知症の専門医は神経内科と精神科医。

神経内科医は脳の障害=原因疾患を診る専門医。(アルツハイマー病、レビー小体病など) 精神科医は行動の障害を含めた認知症を診る専門医(アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症)

・リアリティ・モニタリング:その情報が事実か、単なる想像なのかを判断する認知機能。

・ソース・メモリ:その情報を「いつ」「どこで」「誰から」「どの状況で」獲得したかという情報源。

・物盗られ妄想が起きるのは、まず記憶の問題があり、さらに想像と現実を区別する機能が低下することによって起きる。

・総合診療専門医(2018年4月に導入された専門領域、仕事や暮らしまで含めて診察を行う。)が認知症患者を診るのが望ましい。精神科・内科など別々に薬を出されて処方薬がたくさん出てしまうのを防ぐため。→マンガ19番目のカルテ。

・展望記憶。朝起きて「今日は何か予定があった」(存在想起)、「〇〇さんと会話する日だ」(内容想起)という順で思い出す。

・選択的注意、、認知症の人は正面から話しかける・目を合わせて話すとコミュニケーションが取りやすくなる。

・見当識:時間と空間の中に自分を位置づける能力。英語ではorientarion(定位)

・認知地図:頭の中で映像で作る地図のこと

・脳血管性認知症では視覚認知を司る後頭葉の障害によって「街並失認」(よく知った街並みを見てもそれと認識できない)が起こることもある

・夫婦ではないがお互いを夫婦だと思っている男女。二人で歩くときはスピードが遅くなった。

・老化現象の3つの段階①歩行できなくなる②尿失禁③食べられなくなる

・ケアがコントロールに変わってしまうのは相手に何かするだけの関係だから。それを打開するには、小さな返報を積み重ねること。小さなお手伝いをしてもらいありがとうを言う関係を作る。例:チラシでゴミ箱を作る、洗濯物をたたむ、野菜の皮をむく等

・認知症の人も周りの人の気持ちがわからない

・アルツハイマーの進んでいる人の表情認知であまり悪くならないのが喜びと嫌悪(驚き、敵意、悲しみ、不安)→だから笑顔でいることが

・日常的な「じっとしていてね」も実はコントロールかもしれない。転倒するのが危ないからとただ頭ごなしに止めるならばコントロール、なぜ出ていきたいんだろうか?と考えて対応するのはケアになる。

・お互いの気持ちがわからない、その時には介護する側が認知症の人の世界に入っていくしかない。筆者がやっているのは「認知症の人のはなしを聞くこと」。

・認知症の人が覚えている昔の話を笑顔でする。

・笑顔の裏を察することが難しいので演技でかまわない。

→役者の気分、演技をしているつもりで接する。ただ、つまらない話を楽しそうに笑顔で聞くのは難しい。それを興味深く聞けるなら、演技でなくても笑顔になり、認知症の人の気持ちを穏やかにさせる効果がある。そのためには聞き手の中に昔の知識や関心が芽生えていなければならない。それを作るプログラムがあれば、介護現場で有効ではないか。

・毎日のご飯をつくるのと同じくらいの気持ちで介護ができるのが理想。

・何度も聞いてくるのに対応策としては、本人に聞かれる前に答える仕組みを作る

・紙に書いておく、食事の器を下げないでおく等

・認知症ケアの応用行動分析という手法。問題がある時には近寄らない。落ち着いている時に近づく。

興奮した状態だと人が来てくれると条件付けられてしまうのを、穏やかだと人が来ると学習してもらうというもの。

・ベネフィット・ファインディングで大変な状況の中からでも自分にとって良いことを見つける

「恍惚の人」を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

4冊目:恍惚の人 有吉佐和子著。この小説、本当におもしろくて深い!なぜ早く読まなかったのか。

この本は3つの視点で読める。第一は認知症介護の参考書としての本。認知症の実際の症状や困った状況が具体的にどう現れてくるのか。そのサンプルがたくさん。認知症の症状は普遍的なので、この本が普遍性を持つ理由がそこにある。第二は生活史としての本。当時の風俗、流行、生活様式が細かく描いてあるので資料として参考になる。主人公の同世代の登場人物から、「私は大正の生まれですけど」というセリフがあるので、大正末期~昭和一桁世代だろうと思われる。それはそのまま、私が毎日お会いしている高齢の利用者さんの世代である。第三は女性について。共働きの主人公夫婦のやりとりから、当時の女性の置かれた状況やその感じ方などがよく分かる。現在の状況がどこからつながってきたのかを知ることができる。女性が介護を担ってきた歴史でもあり、上野千鶴子さんの著作ともつながるんじゃないかな。

・言わずとしれた介護文学の金字塔。この大ヒットで社会が動いてその後の福祉政策にも影響を与えた。

・時代背景についての衝撃。この本は昭和47年6月、新潮社より出版された、とある。昭和47年ということは25を足して1972年。今からほぼ50年前の本。

・まず痴呆(認知症という表現は当時はないのでそれにならって)になる茂造というおじいさんに対して「明治の男」という表現。明治時代の経験者がいた頃なのね。そして、平均寿命の話。女性は74歳、男性は69歳と小説の中で語られる。60代でなくなるのが一般的だったとは!今だとまだまだ若いって感じですよね。これって今と地続きのようでいて、全く違う世界のような気がしませんか。あまり注目されていないかもしれませんが、日本は余命の捉え方が大きく変化していたんだなと思いました。それに、おじいさんの長男は戦争を経験、戦後抑留していたと書かれている。シベリア抑留でしょうか、こういった経験が身近にあった頃。

その他、気になった部分!

・不相応に贅沢なものとして、冷凍庫と洗濯物乾燥機が出てくる。

・「流行のパンタロン」というフレーズ。

・毎年、敬老の日から一ヶ月間 10月15日までは65歳以上のお年寄りは無料で健康診断が受けられる。

・昭子は事務所で邦文タイピストをしている。洋文タイプは機械もタイピストも颯爽としてる。邦文タイプライターは活字の数多く、特殊な感じは一々スペアの箱から拾いあげるので、手間暇のかかる不細工な仕事。

・方向感覚の障害。とんでもないところへ向かって突進する。突然立ち上がり柱にぶつかったり、最後は縁から落ちて足を折って動けなくなった。

・水道の蛇口、ガス栓でも目につくと触って捻る。ラジオ、テレビも突然音が大きくなる。

・病院で流動食をゴム管で鼻から通す。保険がきかず完全看護で孫たちで負担をしている。

P104ぞろっぺい(形動) (「ぞろっぺい」とも) いい加減なこと。疎略なこと。また、そのさま。あるいは、しまりのない人。主に関東でいう。ぞろっぺ。

P113昼食後、納戸でゆっくり着替えている。「何処へいくんですか」「婆さんを迎えに行きます」「おばあちゃんは何処に行ってるんです」「東京です」「ここは東京です」と何度もいうも、どんどん着替えてネクタイ締めて靴を履く。耄碌した感じはなくどんどん歩く。後ろから飛びかかって止めるも馬鹿力で跳ね飛ばされる。信号も見ず一度も止まらず歩く。「昭子さん(嫁の名前)心配しますよ」と声をかけると足をとめ、「昭子さんがどうしました」「家で心配してますから帰りましょう」回れ右して歩き出す。合計二時間以上歩き続ける。

P178門谷家のおばあちゃんの震災の話「本所の被服廠の焼け跡。十二階が上から燃え落ちて四階でボッキリ折れたのも見た。火事が3日続いた。人間がこげてかりん糖みたいに固まっていた。生き残った男たちは竹槍を持って自警団というのを作った。大杉栄が伊藤野枝と殺されたのもあの頃。肉がちょっぴり入ったすいとんが一杯十銭、暑い中を行列して買った。」

p192本所の被服廠がかりん糖で、日比谷で肉すいとんの行列買い。テレビで学生が暴れているニュースを見て、「米騒動だ」と騒ぐ

P179夕食後の入浴介助。脱ぎ着は自分でできる。湯船に入ったらいつまでも出てこない、洗い場に尻をついて座る。石鹸はなくなるまで手をこすっている。

P199「愛が終わった」流行語→?

P208大正時代の話。・そろそろドンだよ、とかガス灯のつく時間だ。百円をギザと言って、孫には百円をチリ紙でひねってくれる。・

P216「事実この夜から茂造は頻繁に目をさましては、その都度暴漢が入ったと叫ぶようになる」

P256「怪獣のまねかなあ」→体操だった。「いつの時代の体操を茂造は思い出して実行しているのだろうか」

P261昔話に耄碌したした年寄は出てこない。芝刈り、洗濯と働いている。40過ぎに生まれたのを桃から生まれたことにしたのかも。

P276「女にとって、眼鏡をかけることは由々しい事態である」

P289骨壷から奥さんの骨を取り出し食べるシーン。

P300「厚生省社会局老人福祉課に照会してもらったところ、地域の福祉事務所に老人福祉指導主事というのが必ずいるからその人に相談するといい」

P305東京都民生局発行「老人ホーム利用案内」のパンフレット:低所得者のための養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホームの四種類(当時)。特養は投薬・治療必要とする人は入所できない→現在との比較をするのも面白い。施設の変遷。

P326「今から何十年後の日本では六十歳以上の老人が全人口の80%を占めるという」「昭和八〇年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという」

P371便所へ行かなくなった代わり、排泄は時と所を選ばない。おむつは常時当てておかなくてはならなくなった。近所の家からおむつが乾かないと、乾燥機を借りにくるようになった。→朝食後誘導したら、おむつでなく排泄できたのではないか?

P395便所での物音。「肥壺に落ちていないかと心配した」

P396陶製の男性用便器―一般にアサガオと呼ばれているーを抱えて足をばたばたさせていた。

P380満八十五歳の誕生日にホオジロを買った。手の届かないところへ吊るしてある。終日、小鳥を眺めている。→アニマルセラピー、小鳥なら直ぐにできそう。。

インプロがひらく〈老い〉の創造性 を読む。

インプロがひらく〈老い〉の創造性 くるる即興劇団の実践 園部友里恵著 を読む。気になった部分を抜き出し&コメント。これは専門書100冊チャレンジの三冊目です。

第一章

・著者の高齢者演劇に関する調査によるとシニア演劇の主体は健康な高齢者。

・サンフランシスコの演劇カンパニー「BATS Improv」バーバラ・スコットさん。高齢者対象のインプロWSを行っている。

・理解を確実にするため、ほんの少しだけゆっくり進めたり、多めに繰り返したりする。高齢者扱いされたくないという気持ちにも配慮する。

・「ゆっくり」と「繰り返し」。一回のクラス90分の中で扱うゲームは多くても2,3種類。同じゲームを小グループのメンバーを入れ替えながら何度も繰り返していく。

・身体の状態に常に注意を払う。

・バーバラさんのクラス。「疲れたら座ってもいい」という声かけしていないのに、参加者が自分の状態にあわせて参加の仕方を変えていた。すぐ座れる位置に椅子が配置。

・介護施設でのインプロ見学。・Mindy Cresonさん

インプロを用いた認知症メモリーケアの実践。「むかしむかし、、、」「毎日毎日、、、」「ところがある日、、、」その後に文章を付け加えて一つの物語を完成させるもの。つなげる順番は決まっていない。

・一文付け加えるたびに、最初のむかしむかしに戻って何度何度もも読み上げるのが特徴的。最後に「この物語の教訓は、、、」で終わる。次の物語にいくのではなく、今作った話を深める方向にいく。出てきた犬の名前は?どんな大きさ?目の色は?鳴き声は?海の色は?と五感を使った質問をする。

・何を言ってもアイデアとして受け入れられる。何も発言しない人もいる。

・ファシリテーターが、そこで生まれた物語をとても大切に扱っていると感じた。

・ミンディさんの、脳梗塞による半身不随と失語症の劇団員に対してのアドバイス。「彼を中心にすること」

第2章

・「インプロ体験を通じて、日常のコミュニケーションを振り返る」、が当初のインプロ講座の目的

・くるる即興劇団、稽古は月2回、一回90分~120分ほど地域の会議室や研修室にて。稽古の内容はカリキュラム決められておらず即興的に決める。年に2回、公演を行う。公演場所は稽古と同じ場所。上演時間も稽古と同じ平日昼間、90分~120分。

→こういうやり方もあるんだ!舞台に立つことをフラットに行ってみよう。

・当日まで役がふられていず、どんな物語かわからない。その日誰が出演するか自体分からない(!)当日体調不良で欠席したりしても大丈夫。、、、なるほど!!高齢者劇団に合ってる形式なのだ

・公演後のインタビュー調査で、自分が出すぎてうしろめたいという語りが出る。

→演劇公演を研究として、出演者・スタッフにインタビュー調査していくのどうだろう?

そこで何がどのように受容されていったか、を共有できると面白いのでは。

・席を円にして舞台と客席を分けず見せ合う。ルールから外れた人がいたら「新しいゲームが生まれた!」という。

・舞台上ではアイデアが出てこないのに、客席にいるとふってくる。

・一般にフリーシーンはハードルが高いが、高齢者インプロではそれが逆転する。ルールの理解が苦手なひとにとっては、ルールのあるゲームはハードルが高く、フリーシーンはむしろ取り組みやすくなる。

・稽古のウォーミングアップの進行役を劇団員にまかせる。今までやったこと、テレビで見たりしたことでもよい。条件は「みんなができそうなもの」。

・著者が妊娠・出産で欠席。ファシリテーターがいなくなった時、新たな関係性が生まれる。

・インプロでは、失敗が受容される。(まともにいかない・詰まったり・調子のはずれたことを言う人のほうが面白い)舞台にたつことを強要されない。関係の深さを問わず誰の隣にでも座ることができる

第3章

・ジブリッシュカード。小さな画用紙にでたらめにひらがなを書いてもらう。でたらめな言葉カードを持ち、セリフとして使って会話することで、シーンを作る練習をする。

→でたらめセリフを作るワークとして、できそう、、?ひらがなポーカーのカードがあるので、それを一枚ずつ引いてもらい、口に出す→カードに書く。進行役が話しかけるがその人はそのカードの言葉でしか話しちゃいけないルール。

・間違った発言から生まれたゲーム。両肩を上げて下げる時に「ストン」と言う。次に皆で息を揃えて「ストン」と言ってみる。

・骨折してるから出演「できない」→インプロでは骨折してるから「できる」シーンがある

・仮面演劇で「年寄りだからできるような動きがあった」

・仮面をつけて言葉がでなくなる状態はどこか老いと似ている面がある。1どんどん自由になる。2どんどん制約がふえていく。

第4章

・スポンテーニアスな状態:意識的に生み出すのではなく何かが自然に生まれてくること。

・ジョンストンの本「インプロ」。6歳の子どもに質問してアイデアを引き出したり、9歳の子どもとワンワード(複数名で少しずつことばを足して文をつないでいく)物語を共同で作り上げる様子が描かれる。→専門書認定。買おう。

・顔作りゲーム。人数分のA4用紙を配る。紙には直径10センチの円が一つ印刷されている。グループで順に線を足しながら、その顔を完成させていくというゲーム。変顔にする、誰が描いたか分からないようになる。

・脳梗塞の劇団員トシちゃんのエピソードの章。トシちゃんの言動が引き起こす笑いは、本人が意図しているのかわからないコミュニケーションのズレから生じる。これを笑っていいのか問題について考えさせられた。本人を傷つけてしまうのではないかという危惧。好意的な笑いとバカにする笑いとどう違うのか。

・稽古場に来れなくなった人のために自宅に訪問して出張稽古を行う。これすごくいいなあ。来れなくなったら終わりでなく、続けるための方策がある。これを思いつけるのがすごい。自宅で、奥さんが障害のある夫の役を演じて車椅子に座る。現実と虚構の境目がとけていく。オイボッケシの作品を思い出した。

・福笑い絵本で自由に顔を作る。その顔をまねするワーク。

第5章

・あらかじめできそうなゲームを選択することは、はたして良いことなのか。

・平日午前中という時間帯の設定で高齢者、しかも70代後半から80代の方が申し込んだ。→「平日昼間」は何かこういう場のニーズがあるんじゃないか。デイサービスではなく。

・「できない」状態であっても関われる学習コミュニティを作りたい

・認知症予防の活動は、できない人の不安をより煽るのではないか。

・呆けへの抵抗に違和感を感じる著者。だが「呆けの面白さ・豊かさがあるから呆けてもいいじゃないですか」というのは何か違うと感じている。高齢者同士の関係ならいいが、そうではない自分(筆者)がいうのは無責任だという。

・インプロを学ぶ時だけでも「迷惑をかけあえる」関係や、自分が「迷惑」だと思っていることが「迷惑でなくなる」コミュニティにしたい。

・呆けがもたらす表現も、呆けへの抵抗も、どちらも高齢者だからこそできる表現。

・「できない」と思っていた人も、自身の問いかけ次第で「できるひと」にもなりうる

・とっぴな答えを一つのアイデアとして受容する。

→その場にそぐわない言葉が出て困った時、「それ、いいアイデアですねえ!」とまず言ってみる。その後どうつなぐかは、、、それこそ即興(笑)

・この本の結論:インプロは高齢者の老いのイメージを「一部」ポジティブに変容させる。

・インプロが支配―被支配の関係にならない理由の一つが「その場限りである」こと。継続して上達していくを実感・確認できる機会もないことが、高齢者にとって上手い下手などの上下関係などにならない、フラットな関係を生み出せる。

・コロナで生まれたハガキで即興!ハガキにお題を書き、それに答えを書いてもらい、お便りとして共有するというもの。

→お便り出したら、読まれることって嬉しいんじゃないか。疑似ラジオをやるとか。高齢者の方で、聞けるラジオの方法ってどんなのがあるかな。

・老いを迷惑をかけることと思う祖母に「迷惑と思うかもしれないけれど関われるから楽しさが生まれる」→そうだよね、迷惑かける状況じゃないと「関わり」まで至らない。

→本全体で、認知症という言葉ではなく呆け、を使っている。三好春樹さんの考え方を用いているのだろうか。

→失敗することが捉え方によって価値をもったりすること。「注文をまちがえる料理店」のプロジェクトとも通じる。 →研究の事業なので、インプロで活動を行うだけでなく、インタビュー調査が行われ、その聞き書きも載せられている。単なるワークではなく、聞き書きがあることが重要なポイントだと思う。実際に参加してる方々の内面やゆらぎは、ワークショップ後の簡単なアンケートではすくい

「風呂と日本人」読書レポート

「風呂と日本人」筒井功著を読む。 もう~抜群に面白い!!

フセン貼ったポイントを抜き出してまとめてみました。

/風呂が各家庭に普及したのはせいぜいここ半世紀の変化。江戸も銭湯も最初は蒸し風呂だった。その湯量がだんだん増えて、いまの湯槽になった。/われわれの風呂の起源は、蒸し風呂にあると考えて間違いはない。そもそも風呂の言葉自体がもとはサウナを意味していた。(※漢字は当て字) /日本の伝統的蒸し風呂を「石風呂」「から風呂」など呼ばれた。(※地方によって様々な呼び名) /浴槽に湯をたたえる浴法も古くからあったが「湯」といって、途中までは風呂と厳密に区別していた。(幕末には既に混同) /香川県高松の塚原のから風呂、江戸中期から記述あり、起源はいつからか分からない(!)今も入れるそうな。 香川県には小豆島、高松市周辺に石風呂遺構が発見されている。/石風呂は身近でありふれた存在。そのため記録に残りにくく、忘却も早かった。 (→身近で当たり前なものほど価値がある理由はここだ!) /石風呂の起源は日本ではなく、おそらく朝鮮半島からの伝来。このルートはユーラシア大陸北部にさかのぼるとすると、日本の石風呂はフィンランドのサウナ、ロシアのバーニャにつながる!! /著者の調査中、石風呂があったことは住民でも知ってる人が少なくなっていた。所在も分からなくってしまった、消えてしまった石風呂が各地にある、、、。 /姨捨山は「オハツセヤマ」から転じた言葉で、葬所を意味し棄老伝説が実際の習俗と考えてる民俗研究者は今ではまず、いない。 /第八章は近世文学から近世以降の沐浴史をたどる。ここが一番面白い。大学時代、江戸文学のゼミ生だった私は懐かしの山東京伝の名を見て歓喜した。京伝の「骨董集」に「居風呂船」が出てくるとのこと。 /江戸時代の文献に出てくる「据え風呂」は移動式の丸い風呂桶のこと。(訪問入浴みたい!)一人用で、桶の下にかまどをはめこんでいた。腰湯程度の湯量で、蒸し風呂の要素を含んでいたのではないか。 /サウナ浴と温湯浴の中間形態!これが現在の浴槽につながるのか。 /近代の東京、その周辺の銭湯経営者は新潟か富山のものがほとんどだった。 /混浴は民族の性倫理や道徳観と何の関係もない。それはある民族の、ある時代の習俗を反映しているにすぎない。

介護に役立つかな~と思って読み始めたけど日本人の入浴そのものの起源をたどる話だった。せいぜい江戸時代から始まった現在の入浴形態が習慣・文化となっているのだなあ、、、とすごく広い視点を持てたのは良かった。その流れを汲んだ現在という最先端で、私は入浴介助ですったもんだしているのだな。本書によると、家庭風呂の急激な普及は、昭和30年代になってから。そう考えると、すごい最近なんですよね。

本の紹介

「きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ」稲葉麻由美 高橋ライチ 舟之川聖子著を読みました。

十代に向けた社会の様々な分野についての実践的レクチャーがシンプルかつ深く書かれています。息子が大きくなった時に読ませよう、と思ったが自分にめちゃくちゃ刺さる内容でした。ヤングアダルトの本好きなので、そのスタイルに似ていて楽しいです。文章少なくすぐ読めるかと思ったが一つ一つの章を時間をかけて読んで中々終わりませんでした、、、。

自分にヒットした部分。

・誰も完璧になれない。両親も、嫌いなあの人も、あの総理大臣も、かけがえないその人。

・周囲は優しく感じても自分が攻撃された、怖い、と感じることはあるということ。

・リラックスの呼吸法。シンプルで使いやすい。

・怒りの下にはニーズがある。非暴力コミュニケーションの考え方

・他者との境界線の引き方

・人格を責めず「やり方を間違えたんだね」と考える

・体調や環境によって仕事が続けられなくなるのは「神様の辞令」

・新しい事を学ぶときは図書館の子どもの本のコーナーにいく

・子どもはいつか社会に出るのではなくすでに社会にいる

怒りのことや、やり方にフォーカスするという考え方は介護現場でも有効だと思います。また、社会にいる、いない、出るという考え方は認知症高齢者はどうなんだろう?いわゆる老人ホームは社会につながっていられるのだろうか?とも思いました。

どんな分野でも相談機関や活動している団体があり、他者に助けを求める方法があるということを知ることだけでも違うと思いました。例えば介護で悩んでいる人は地域包括支援センター、などの情報ももしかしたら十代にも必要になってくる時代になるのかもしれませんね。

各テーマの終わりにおススメの本や映画が紹介されています。こういうの好き。ここを読んでいるだけでも楽しいです。

過去のワークショップレポートです。

今までに行ってきたワークショップレポートはこちらです。見たい回の文字をクリックしてください。

第六回までを第一シーズンとします(笑)。第二シーズンにご期待下さい。

プレ回 フリースペース会場をお借りして開催したプレ回。

第一回 記念すべき第一回にして、ホームグラウンドである松沢区民集会所が初使用の回。

第二回 少人数ながらも新ワークをチャレンジしていました。

第三回 感情設計という手法を用いてワークショップをデザインした回。少しコーチングより?

第四回 いつもの和室ではなく体育室を使用。写真がさわやか。

第五回 演劇要素多めの田澤くん回。

第六回 第一シーズン最後になった回。リンゴトークが初お目見え。

第二シーズン「生活の台本ワークショップ」

第一回 タイトルや内容も変更して始まった第二シーズン。初のZoom開催となりました。

宜しければぜひご覧ください。どれもボリューム多めです。

久しぶりの投稿

ごぶさたしています。ワークショップをやらない間にすっかり世界が変わってしまいましたね、、、。

近況としては、演劇ジャンルに限らないワークショップに参加してインプットをしています。それと、もし新しくワークショップを始めるとしたら、「記憶と生活をかんがえるワークショップ」にしようかな、と思い始めました。

また何か企画を始める時はこちらのブログでもお知らせいたしますね。

それではまた。

ワークショップについて

介護にかかわる人のための演劇ワークショップ、土田です。

前回11月からはや二か月たとうとしています。早かった、、、。

次回のワークショップの予定は決まっておりません。私の感覚として、もっと色々なことを吸収したい!と今年はワークショップを受ける方に回ってインプットしていきたいと思います。

今、参加しているのはダンスパフォーマンス、来月からはインタビューのワークショップに参加予定です。どちらも話を聞いて、場を開く。何かを作り上げる。みたいなことが共通しています。私の関心もそちらにあるのかもしれません。

やはり自分から動くと色々な出会いがありますね。そして世にはすごい人がたくさんいることを実感します。

また、自分発の企画を動かすことが決まりましたらブログなどでお知らせします。それではまた。

第六回ワークショップのレポートです!

おまたせしました、第六回の介護にかかわる人のための演劇ワークショップ、レポートです。このワークショップは、2019年11月30日の土曜日に開催しました。私が風邪をひいてしまい、公開まで遅くなってしまいました。皆さまも体調にはお気をつけください。

さて、この日は参加者さんも少し遅れての参加が多く、ゆるゆると始めていく感じになりました。

セットリストはこちらです。

1、挨拶、ストレッチ

2、ウォーキング

3、身体起こし

4、リンゴトーク

5、田澤君コーナー

6、人生のアンケート

では最初から振り返ってみます。この日はご挨拶のあと、最初ストレッチから始めました。そしてウォーキング。部屋の中を歩き回り、興味のあるものにタッチしていきます。いつもは目をつむって部屋のものを当てる、をやるのですが今回は目を開けたままで、お題のものを探してもらいました。「やわらかいもの」「赤いもの」「頭に『か』がつくもの」「『た』がつくもの」。もちろん人でもOKなので、もう一人の進行役を務める田澤くんを指してもOKですよ。

そのあとは参加者さん同士で挨拶、ハイタッチ、ウインクなど。ゆっくり歩き、早歩きをしていて、ゆっくりハイタッチなどもやりましたね。人数が少ないとすぐ回ってくるから忙しい。このセクションの最後は、身体おこし。二人ペアになってもらい、一人は寝っ転がりゆっくり起き上がってもらいます。関節の音や衣擦れがしたら最初から、というルール。最後の瞬間まで気が抜けません。ゆっくりの指示をしていませんが、結果的にゆっくり動きになるというワーク。また、起き上がりの動作を深く見つめることにもつながりそうです。ワーク中、靜かになり部屋の時計の音が聞こえる位の静寂と緊張感でした。

少し休憩を取った後は、皆さんで円になり自己紹介タイム。リンゴを手に持って一言話して、次の人に回してもらいます。お題は最近行った地名、赤い物の単語、明日以降に行く予定の地名などなど。時間を空けて赤いもののお題で出た単語を思い出して言う、をやりました。本編では話しませんでしたが、これって、様々な種類の記憶を使っているんですね。エピソード記憶、展望記憶、意味記憶、ワーキングメモリ(短期記憶)、、、。皆さん、まだ認知症ではありませんね。あっ、これって新しい認知症チェックの方法になるんじゃないかしら。

そしてリンゴトーク本番です。お題は「介護と私」「演劇と私」リンゴを持った人が話す、否定や無視はしないというルール。時間を制限しないで話してもらいましたが深い話がたくさん聞けました。常連の参加者さんや進行役同士でも知らないことが出てきたりして、とても新鮮な時間でした。中央にもう一つリンゴを置いて、質問したくなったらそれを取ってから話す、にしてみたのも面白かったですね。

さて、休憩後は進行役をチェンジして田澤君コーナー。二人ペアになり、今回は6名で3チーム、A、B、Cチームに分かれます。各ペアとも、80代位のお年寄り二人が同窓会で会って会話するという設定です。まず最初のAチームが思い出話をします。二人の関係は各ペアにおまかせ。高校の同級生や、同じ劇団仲間だったという設定が出ました。その語られる内容も、「そういえばこんなことがあったね、、」と即興的に考えて話していきます。次のBチームは、その思い出話の内容を、実際に演じます。高校の同級生だったら、その当時の架空の思い出話を、高校生になって演じるわけですね。2分程度の会話を交互に繰り返していきます。(A→B→A→B→Aの順番。)これを3チームで順繰りに回していきます。どんな思い出話がでるか、戦々恐々!?また演じるチームの時に新たな話題が出て、それが思い出話ペアに影響されるなんてことも。会話から少しずつ全貌が見えてきたり、思わぬ発展があったりしました。

最後は人生のアンケート。以前もやりましたが、まずアンケートタイム。自分の一番古い記憶、人生で一番充実していたころ、その頃に親しかった人の呼び名、などを思い出しながら書いてもらいます。それを元に、こちらが用意した台本の空欄を埋めていきます。今回は、孫が介護施設に会いに来るが、認知症のお年寄りはその孫を昔親しかった友人と思っているという設定でやりました。参加者さんの人生の一端が見えるシーンがたくさんありましたね。呼びかける場面で涙が出てきて驚いた、という感想もいただきました。

今回は全体的に、『記憶』や『語り』についてが多いワークショップでしたが、いかがでしたでしょうか。こういうワークでは、参加者さんの話をもっと聞きたい!と自然に思います。それに、自分の思い出話をすることも、忘れていたことを思いだしたりと意外な発見がありますね。自分の人生を振り返ることは他人の介護をする上で必要なことかもしれません。

次回の予定は未定です。また決まりましたらお知らせします。2019年はワークショップをたくさんやれて良かったです。新たな出会い、懐かしい再会もあり充実した一年でした。ご参加いただいた皆様、気にかけて下さった皆様本当にありがとうございました。

それでは皆様、良いお年を。

第六回介護にかかわる人のための演劇ワークショップお知らせ

介護をテーマにした演劇ワークショップです!
介護の本質やその楽しさを体験できます!以下、詳細です。

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第6回 介護にかかわる人のための演劇ワークショップ
2019年11月30日(土) 13:00〜17:00
京王線下高井戸駅 徒歩五分 松沢区民集会所 和室
東京都世田谷区赤堤5-31-5 ​

演劇の手法をもとに、介護の本質を体験できるワークを行います。
気づきから毎日の介護がかわります。​

対象者:過去に介護をしたことがある方​
    現在介護にかかわっている方​
 介護に興味・関心がある方 ​

参加費:1000円(会場費・資料代) ​
募集人数:10名(先着順となります)
参加申し込みメールアドレスinfo@tsuchidayu.com​
(お名前、ご連絡先をお願いします)​
参加申し込み締め切り日 11月20日​