介護がちょっと楽になる気づき。認知症の方の繰り返しの話に相槌、、、あっ、これ「〇〇の稽古」に似ている!

認知症の短期記憶障害は「何度も同じ話をする」と言ったら分かりやすい。思わずさっき聞いたよ!と言ってしまいそうになるのだが、ご本人は初めて言ってるつもり、なので指摘すると落ち込んでしまったり怒ったりと、ストレスになってしまう。(そもそも指摘してもその後も同じ話になることも。)

ストレスは認知症を悪化させるとも聞くので、介護現場では、何度も聞いた話を初めて聞いたようにリアクションする。本人の中では初めて話していることなのに例えば「それ何度も言ってる話!」なんて言われるとショックだろう、つまりストレスになってしまう。御本人の気持ちや視点にそって適切に対応するには、「初めて聞いたように相槌を打つ」が基本中の基本だと言える。(関係性ができてきたり、御本人の病識によって別の対応もある)

だが、この対応を取ることは毎日一緒に暮らしているようなご家族には大変なことだろう。私は介護職で慣れているが、昼も夜も24時間でと思うと、冷静に対応できるかどうか。 だがある日、認知症の方とお話をしているときに、「何度も繰り返される同じ話を初めて聞いたように反応する」はある状況で似ている行為がある事に気づいた。

それは、、、演劇の稽古場。一般的なストレートプレイの台本なら、同じシーンを何度も感情を入れて繰り返す。私は社会人劇団に所属し、昔舞台に出た経験がある。台本のセリフや動きを覚え、相手役を見ながら演じる。そして演出家が止め、「違うなあ、もう一回」と言われる。 そのとき、相手は同じセリフ、同じシチュエーションだが、そこで同じ反応を感情を込めて演じる。それは場合にもよるが、何十回も繰り返される。稽古をはたから見たら滑稽かもな、、と思うこともあった。 オッケーが出るまで同じセリフ、同じ感情を何度も繰り返し演じてるのだから。

これ、認知症の方の繰り返される話と同じじゃないか? 役者が稽古でやっていることと、家族を介護している人がやっている行為は実は似ているのではないだろうか。なぜ演劇の方は積極的になされ、認知症の方の対応は嫌がられるのか。 演劇の稽古には時間の終わりがある。また、そこで良しあしを評価をする演出家がいる。そして最終的に舞台で発表するという大目標がある、、、などの違いがあるとも言える。

認知症の方との対応に疲れた時、ふと「演劇の稽古みたいだな、、」とその状況を客観化できると少し気が楽になったりうまく返事できるかもしれない (もちろん息がつまる位大変な状況は助けを求めるべきですが)

そんな介護現場で、繰り返される同じ話を、感情を込めて上手に対応しなさってる相槌の達人がいる。それは、、同じ認知症の短期記憶障害のある方。この間も、同級生の大正15年生まれのお二人。「私はね、生まれが大正15年なのよ」「あら、あなた私と同じ年なの?!」

と同じ話で何度も新鮮なリアクション。なぜなら、認知症の短期記憶障害で忘れていて、本当に初めて聞いた話だから。 日常生活では困りごとに繋がる、直近の出来事を忘れてしまうという障害が、「繰り返す話を感情をこめてリアクションする」というフレームの中では達人となる。 これは一口に認知症といっても、同じ程度の短期記憶障害でないと成立しない。認知症の特性なのかもしれないが、同じ障害がある人同士が最良の話相手になれるという意味では、デイサービスなど施設の有効性にもつながる。私も「本当に初めて聞いたように」相槌を打てるよう精進していきたい。何しろ達人は職場に沢山いらっしゃいますから。

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