未来の介護現場

person holding a stress ball

先日のツイッター・ブログ記事に色々コメントいただきました。その中で、今の我々が将来、デイサービスや老人ホームに入ったらどんなことをするのかという疑問が湧いてきました。イメージを膨らませて、実際の様子を描写してみたいと思います。

デイサービスに行く男性(80歳)。デイにつくと、バイタルチェックのあと、個別のブースに入ります。そこで各種のゲーム機がセットされています。男性はスーパーファミコン型のコントローラーを手に取り、ストリートファイターⅡを選びました。「今日はレトロでいくか、、、」モニターの画面がつき、早速対戦相手を選択。デイサービス内の相手を探します、今日はあまり参加している人がいない様子なのでネット対戦を選択。海外の対戦相手となりました。ゲームをしばらく集中したところで、スタッフ(アンドロイド)から声がかかります。

次は予約していたトレーニングの時間。各種のメニューから好きなのを選択。今日は任天堂Wiiでフィットネスです。高齢者も少なくなっている時代で人間は少ないです。コミュニケーションロボットやアンドロイドが一緒に踊って、応援してくれます。

大型食堂で昼食。久しぶりにあった知り合いの利用者とゲームの話で盛り上がります。何しろ過去数万点のゲームを自由に遊べるので、何にしようか迷う日々です。彼から誘われて、一緒にハイパーヨーヨーをすることになりました。手を使うホビー系のおもちゃは、リハビリホビーとして近年再注目されているのです。「コントローラー以外の筋肉も鍛えなくっちゃな」

16時になり帰宅時間となりました。そのまま帰ろうとすると、受付から声がかかります。「ゴーグル外すの忘れてますよ」「ああ、そうだった」メガネのような機会のチップを外して返します。脳神経に直接アクセスするので視力が悪くてもゲーム画面が鮮明に見えるのです。

なんてことを想像しましたが、うーん、もっと違うイメージがありそう。アバターとか、、、。自分たちが80代、90代になってどんな過ごし方をするのか、デイサービスでどんな歌を歌うことになるのか、考えるのも「介護について考える」ことになりそうですね。おわり。

以下に、以前のブログ記事にいただいたコメントで出た「自分が将来やりそうなもの」やネタをリストしました。参考までに!?どうぞ。
ストリートファイターⅡ:1991年に稼働を始めた第2作。
スマホ:2007年初代iPhone発売
ハイパーヨーヨー:1997年以降にバンダイが発売。第1期(1997年春 ~ 2000/9/24)に最大のブームに。
PS2PSPかセガサターンで三国無双とか乙女ゲー
シムシティ:第1作目は1989年から1991年にかけてリリース。
ソシャゲ
ダークソウル2:2014年3月13日にフロム・ソフトウェアから発売されたPlayStation 3、Xbox 360、PC用アクションRPG。
ゲームキューブでスマブラとか? 桃鉄
座ってばかりの認知症のおじいちゃんに〇〇を手渡したら, シャキッと立ってそれを背負って、キビキビと歩き始めたものは・・・https://i.imgur.com/Lgdivg1.jpg
ミニ四駆やベイブレード
ガンプラ

昔ネットで見た話で 介護施設でお年寄りがテニスだかバレーだかを外でやっていたら 突然イノシシがやってきて職員が騒然となったのだが のほほんとしていた年寄りたちの目つきが変わり、その辺のものでイノシシを追い立てるおじいさんや スポーツのネットでイノシシを捕獲するおばあさんの連携プレーがすごかった、 みたいな話→(真偽不明)

老人ホームに暴れ込んできたイノシシ vs じいちゃん・ばあちゃん – ほっこりする話 (fc2.com)

「風呂と日本人」読書レポート

「風呂と日本人」筒井功著を読む。 もう~抜群に面白い!!

フセン貼ったポイントを抜き出してまとめてみました。

/風呂が各家庭に普及したのはせいぜいここ半世紀の変化。江戸も銭湯も最初は蒸し風呂だった。その湯量がだんだん増えて、いまの湯槽になった。/われわれの風呂の起源は、蒸し風呂にあると考えて間違いはない。そもそも風呂の言葉自体がもとはサウナを意味していた。(※漢字は当て字) /日本の伝統的蒸し風呂を「石風呂」「から風呂」など呼ばれた。(※地方によって様々な呼び名) /浴槽に湯をたたえる浴法も古くからあったが「湯」といって、途中までは風呂と厳密に区別していた。(幕末には既に混同) /香川県高松の塚原のから風呂、江戸中期から記述あり、起源はいつからか分からない(!)今も入れるそうな。 香川県には小豆島、高松市周辺に石風呂遺構が発見されている。/石風呂は身近でありふれた存在。そのため記録に残りにくく、忘却も早かった。 (→身近で当たり前なものほど価値がある理由はここだ!) /石風呂の起源は日本ではなく、おそらく朝鮮半島からの伝来。このルートはユーラシア大陸北部にさかのぼるとすると、日本の石風呂はフィンランドのサウナ、ロシアのバーニャにつながる!! /著者の調査中、石風呂があったことは住民でも知ってる人が少なくなっていた。所在も分からなくってしまった、消えてしまった石風呂が各地にある、、、。 /姨捨山は「オハツセヤマ」から転じた言葉で、葬所を意味し棄老伝説が実際の習俗と考えてる民俗研究者は今ではまず、いない。 /第八章は近世文学から近世以降の沐浴史をたどる。ここが一番面白い。大学時代、江戸文学のゼミ生だった私は懐かしの山東京伝の名を見て歓喜した。京伝の「骨董集」に「居風呂船」が出てくるとのこと。 /江戸時代の文献に出てくる「据え風呂」は移動式の丸い風呂桶のこと。(訪問入浴みたい!)一人用で、桶の下にかまどをはめこんでいた。腰湯程度の湯量で、蒸し風呂の要素を含んでいたのではないか。 /サウナ浴と温湯浴の中間形態!これが現在の浴槽につながるのか。 /近代の東京、その周辺の銭湯経営者は新潟か富山のものがほとんどだった。 /混浴は民族の性倫理や道徳観と何の関係もない。それはある民族の、ある時代の習俗を反映しているにすぎない。

介護に役立つかな~と思って読み始めたけど日本人の入浴そのものの起源をたどる話だった。せいぜい江戸時代から始まった現在の入浴形態が習慣・文化となっているのだなあ、、、とすごく広い視点を持てたのは良かった。その流れを汲んだ現在という最先端で、私は入浴介助ですったもんだしているのだな。本書によると、家庭風呂の急激な普及は、昭和30年代になってから。そう考えると、すごい最近なんですよね。

医療・介護に携わる君たちへ

という、本を読みました。

医療・介護に携わる君たちへ  斉藤正身

2018年4月4日~4月6日読み終わり

・川越の霞ヶ関南病院院長さん。リハビリに力を入れている病院。社会保障審議会介護保険部会にもかかわる。また介護保険設立にも関わっている。

・仕事で悩む若い人へ、今の仕事をやめる前にやる解決策があると伝えたい。

・病院の設立理念は「老人にも明日がある」かっこいい!俺たちには明日がない、みたいなハードボイルどっぽいにおいを感じる。

・仕事の本質は「問題をどのように解決していくか」

・仕事の前提はどうなっているのか

・専門職だから仕事ができるのではなく、人間として必要とされるから仕事ができる

・成長のヒントは普段の自分の仕事に対する姿勢や患者さんへの接し方、同僚とのやりとりの中に隠されている。

・2025年以降は増えたサービスをどう整理縮小していくかということが前提になってくる。そのために必要なこと「インフォーマルを大事にする」

・なぜ自分がこの仕事をしているのか、なぜを考える。「自分にとっての大切な経験」

・自分の原点となる経験や場所を思い出す。、、、なんだろうなー。おばあちゃんが入所してた施設でのお見舞いの経験かな。

・今いる場所でやれることを探してみる。自分で作ってしまう!

・チームのためにハッキリとものをいう。

・家庭と仕事、両立なんて考えなくていい。両方持っていることがいいこと。

・リハビリの考え方、安静度(制限のための指示)と活動度(可能なことの提示)。

安静度、、、38度あればお風呂ダメ、安静の指示→37.5度でもお風呂だめ?と悩む。活動度、、、38度までは、起き上がってお風呂入っても大丈夫ですよ。熱が高くてだめ、、、活動もだめ、ではなくここまでだったら活動して大丈夫。例:時間がなくて、演劇とかできないけど、家族が安定して幸せだから大丈夫だ。

・人にとって大事なこと、、行く場所、座る場所、居場所があること。

・端座位、せもたれなく座っていられるか。一日に何回か、介護職が隣に座ってお話しする時間を作ることをケアプランに入れておく。→一緒にお話ししたり、お茶を飲んだりという時間が作れる。

・目の前の相手を知ろうとする習慣を身に着ける。経験や年齢関係なくできるスキル。

・相手のことを知る。相手と付き合う。そのためにはたくさんの人から見た情報が必要。

ことばにならないもの

うーん、最近忙しくてこちらに

これてなかった。うん、なるべくもっと介護について、書きます。

 

今日、精神障害者の施設に見学にいった。そこで読んだ文章。

「ここは作業所だけど、それから作業はしていない。」

 

とつとつダンス、、、介護のような、ダンスのような

2017年9月30日

老人ホームでうまれたとつとつダンス

ダンスのような、介護のような  砂利尾理

を読みました。

読書の感想。

・介護とダンスを並列にするなら、介護職の私からすれば

ダンスするように介護する だろうか

・この人は、越境する人だ。決まり事を壊し、ダンス相手のことを困惑させ、そこから生まれるものを求めている。この人こそ、コヨーテだ、トリックスターだ。

その原動力は昔から、自伝部分でも語られている閉塞感だ。

・待つことの大事さがくりかえし現れる。ダウン症の方どうしのダンスでずっと立ったままになったのを素晴らしいとほめる。

・この人は自画自賛の癖がある。子供のころからそうだとのこと。でもだからこそ、認知症の人や障碍者とのダンスに良さを見出すことができるのだろう。自分の欠点を見つけ高めることに意識を向ける人は、技術向上、高みを目指すダンスに向いてる。どっちがよい悪いではない、どっちが向いてるかどうか、だ。

・とつとつダンスというのは決まったかたちのダンスではなく、一つのアートプロジェクトの総称だと考えると分かりやすい。舞台の発表だけでなく、ホームでのワークショップ、哲学カフェなど領域を超えて行われる営みすべてを含む。

・日常で見捨てられるディスコミュニケーションに目を向ける。そこに価値を見出す。

・本屋で見つけて買った。すぐ買わなかったし、買ってもすぐに読み始めなかった。なんでだろう、こんなにヒットして自分のテーマにもリンクする本なのに。

それもタイミングがあるということか。僕自身、そして本自体が読まれる時期が来ることを待って いたのかもしれない。

・本文の中に出てくる本や筆者名。すべて読んだことがあったり、本で持っているものばかりだった。

・筆者がワークショップを行う老人ホームのスタッフについての批判が心に残る。

その笑顔、子供に話しかけるような話し方、なんとも言えない居心地の悪さを感じたということ。

居心地が悪い。それはあるんだよなー。それを見ないふりをして、介護職らしいスタッフとして演じているということか。

・最初に感じていたとまどい、を思い出させる。もっと戸惑っていればいいのか。笑顔じゃなくふれあってもいいのではないか。

・ダンス作品を作る際に、ペアを組む人と2年くらい、ずっと対話していたとのこと。ここが面白いなー、と思った。大学の生徒にも、どう思った?どう感じた?とずっと質問しているらしい(質問魔のじゃりおさん)

・一緒にダンスを作るというのはそういうことなのか。とすると、介護もダンスだとしたら。一緒に介護する人と、何が好き?どんな本を読んだ?と聞くことが必要ではないか・

・介護施設では、介護技術とかの研修はあるが感性を磨く場所がない。