「風呂と日本人」筒井功著を読む。 もう~抜群に面白い!!
フセン貼ったポイントを抜き出してまとめてみました。
/風呂が各家庭に普及したのはせいぜいここ半世紀の変化。江戸も銭湯も最初は蒸し風呂だった。その湯量がだんだん増えて、いまの湯槽になった。/われわれの風呂の起源は、蒸し風呂にあると考えて間違いはない。そもそも風呂の言葉自体がもとはサウナを意味していた。(※漢字は当て字) /日本の伝統的蒸し風呂を「石風呂」「から風呂」など呼ばれた。(※地方によって様々な呼び名) /浴槽に湯をたたえる浴法も古くからあったが「湯」といって、途中までは風呂と厳密に区別していた。(幕末には既に混同) /香川県高松の塚原のから風呂、江戸中期から記述あり、起源はいつからか分からない(!)今も入れるそうな。 香川県には小豆島、高松市周辺に石風呂遺構が発見されている。/石風呂は身近でありふれた存在。そのため記録に残りにくく、忘却も早かった。 (→身近で当たり前なものほど価値がある理由はここだ!) /石風呂の起源は日本ではなく、おそらく朝鮮半島からの伝来。このルートはユーラシア大陸北部にさかのぼるとすると、日本の石風呂はフィンランドのサウナ、ロシアのバーニャにつながる!! /著者の調査中、石風呂があったことは住民でも知ってる人が少なくなっていた。所在も分からなくってしまった、消えてしまった石風呂が各地にある、、、。 /姨捨山は「オハツセヤマ」から転じた言葉で、葬所を意味し棄老伝説が実際の習俗と考えてる民俗研究者は今ではまず、いない。 /第八章は近世文学から近世以降の沐浴史をたどる。ここが一番面白い。大学時代、江戸文学のゼミ生だった私は懐かしの山東京伝の名を見て歓喜した。京伝の「骨董集」に「居風呂船」が出てくるとのこと。 /江戸時代の文献に出てくる「据え風呂」は移動式の丸い風呂桶のこと。(訪問入浴みたい!)一人用で、桶の下にかまどをはめこんでいた。腰湯程度の湯量で、蒸し風呂の要素を含んでいたのではないか。 /サウナ浴と温湯浴の中間形態!これが現在の浴槽につながるのか。 /近代の東京、その周辺の銭湯経営者は新潟か富山のものがほとんどだった。 /混浴は民族の性倫理や道徳観と何の関係もない。それはある民族の、ある時代の習俗を反映しているにすぎない。
介護に役立つかな~と思って読み始めたけど日本人の入浴そのものの起源をたどる話だった。せいぜい江戸時代から始まった現在の入浴形態が習慣・文化となっているのだなあ、、、とすごく広い視点を持てたのは良かった。その流れを汲んだ現在という最先端で、私は入浴介助ですったもんだしているのだな。本書によると、家庭風呂の急激な普及は、昭和30年代になってから。そう考えると、すごい最近なんですよね。