「医者がぼけた母親を介護する時」を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

「医者がぼけた母親を介護する時」米山公啓著を読みました。

・医師で作家である息子さんが書いた、自分の母親の認知症介護の記録、ノンフィクション。父親も開業医という医者一家。認知症が発症し看取るまでの9年間(1990年~1998年)の記録。出版は2000年。(この本では認知症ではなく、痴呆と表記)

・登場する母親の病状は、生活習慣病から来る脳血管性認知症。

・この作品のすごいところは母親の手記を載せているところ。色んなところにちょっとしたメモを取る方だったらしく、亡くなってから出てきたメモ書きを紹介している。病気の進行でどんな心情だったのかが痛いほど伝わってくる。現在、認知症の方本人からの発信が多くなってきているが、20年前にこうした本が出ていたのか、という驚き。

・主で介護する父親も医師なので、認知症ケアについての対応が淡々として冷静だと感じる。参考になる部分も多かった。

以下、気になった部分の抜き書き。

・最初に気づいた症状は、最新機器の操作(息子が買ってあげたラジカセ)が何度説明しても覚えられなかったこと。

・母親は48歳で血圧が175/110。降圧剤を使用していたがめまいなどがあり、十分に下げられなかった。副腎からアルドステロンというホルモンが多量分泌されるアルドステロン症という病気だった。(当時は判明せず)

・性格的には楽観的でおおらか、人懐っこいタイプ。甘いものや塩辛いものが大好き、コーラを買い置きしてラッパ飲みしていた。

・61歳で心房細動という不整脈があり、脳の動脈がつまる脳梗塞のリスクが高かった。

・64歳頃から疲れやすいの訴え、昼過ぎまでごろごろするようになった。

・「夕飯は何がいいと思う?」→自分で考えられないから他人に聞く。

・焼き茄子を真っ黒に焦がす・野菜がたくさんあるのに八百屋に注文する。→どういうメカニズムか?

・絵をかくのを夫がほめる→プライドが高い方だったそうで、褒められるのは母を気持ちよくさせ、症状を落ち着かせるのに有効な手段だった。

・日中近所の人2人に介護を頼むことにした→1992年の頃。

・夜間の失禁が増え、おむつをつけるのを拒否→「先生(夫)が夜起きなければならないから協力してくださいね」→渋々納得:強制するのではなく、相手をたて協力してもらう。→夜間失禁の原因はなんだったのか?おむつをつけずに対応はできないものか?

・早朝から「結婚式に行きます」と支度をはじめる。あわてて結婚式の支度をした記憶が残っていて、その日時がわからなくなり今日がその日だと思っている。本人にしたら切実な問題で焦っていることになる。

・母の奇妙な行動も、時間と日にちが間違っていなければおかしなものではない→!!素晴らしい指摘。その時間、場所がズレていることがおかしいだけなのだ。行動としてはおかしいものではない、「一見」おかしい行動と考えることが大事。

・記憶は常に時間と一緒になって脳にしまいこまれている。

・周囲の人にとって非常に奇妙に見えたり、おかしいと行動でも、本人はそう考えることしかできないということを理解する必要がある。そこがぼけ思えるの介護でもっとも重要なところだ。

・夜中に失禁してぬれたおむつを便器に流してトイレをつまらせてしまう。夜中に起きるとトイレの方向が分からず、隣の部屋を濡らしてしまう

・オムツを外し、パンツと寝間着だけにして廊下の電気をこうこうとつけたままにした。するとなんと途中でもらさなくなった(!)自力でトイレに行きたい気持ちが強く、寝起きでウロウロしているあいだに失敗していた。父の観察と工夫で、トイレまでの通路を明るくしておくことが大切とわかった。

・医療関係者は病気になったところで患者さんとかかわるが、家族はそこに至るまでの過程を同時に体験し、苦しんでいる。その部分を医者はなかなか知ることはない。

・医療は医者やナースから見えるものがすべてではない。その意識を持つことは重要。

・ぼけの人の介護とは、悪徳業者の介入を防ぐことも含まなければならない。

・家族がぼけの相談に来たときは、一冊でいいからぼけに関する本を読んでくださいと勉強することをすすめる。

・夜、ごそごそ動いて眠らないことが多くなったので、父は寝る前に音楽と聞かせることを思いつく。CDラジカセを買って、毎晩、子供の頃の音楽を聴かせると小声で歌いながら眠ってしまうようになった。クラシックはだめで、童謡や古いヒット曲だと落ち着く。

・「夜寝なくて困るんですよ」家族にとってみればとんでもない夜の大騒ぎがあり本当に手を焼いていることが多いのだろう。その家の内情まで思いをめぐらせているか。

・市長選挙があり、母の希望をきくと「投票にいきたい」というので父は前日に投票するひとの名前をかく練習をさせた。当日は投票所で自分の名前を書いてしまう →でも、投票に生かせてあげる!というのはすごいこと。尊厳の保持ってこういうことか。なるべく希望を聞いて、やりたいことだったら希望を叶えてあげることが重要。

・ぼけを介護していく姿を、もっと多くの人、とくに若い人に見せることは、家族やぼけた本人にとって大切な役目。

・アメリカのレーガン大統領はアルツハイマー病と公表した。

・夜中、幻覚があり、介護者が女の子を連れてきたという。父は「人間の頭の中はだれにも見ることはできないだろう。だから人の考えてることは他人には理解できないんだよ。その子供は一枝の頭の中にいるから、だれにも見えないんだよ」そんな説明をすると納得して、妄想は消えてしまった。 →そんなことがあるのか!論理的に説明する、という道もあるしその方が相手を尊重しているかもしれない。

・医学書では妄想は周囲の説明では納得しないとあるが、こういう説明で妙に納得してしまうことが、母の場合はたびたびあった。

・妄想が出るというのは、まだまだ脳がそれだけ論理的な思考回路を保っている意味もある。どんな形でもコミュニケーションが取れることは母の救いだったのかもしれない。

・喜子さんはそんな母の心の葛藤を理解し、励ましていた。介護というと、日常生活が楽に暮らせればいいという視点になりがちだが、本当は心の支えとならねば介護にはなっていないのだと気がついた。

・ぼけの介護は、努力したことに対して非難されるという、不条理な状況になる。

・住宅改修は変化していく状況に対応していくものでないと無駄になる

・老人向けのマザーリング。ボランティアの話し相手組織

・福住さんという介護職。人の話を聞き、その人の昔の楽しかったときのことを一緒になって話せるという非常に貴重な才能があった。

・運動能力が落ちるというのは、脳の中で、神経の細胞そのものが壊れているか、あるいは神経細胞から伸びている軸索という電線のようなものが途中で切れてしまったことを意味する。

・ぼけの介護は、その人の性格、社会背景まで考えてやらないと、なかなか本人を満足させることはできない

・1994年時点の話。介護保険前のため、社協に連絡してヘルパーを派遣してもらった。

・医者というのは、いくら臨床経験を積んでみても、患者さんや家族の苦しみを自分のものとしてとらえることはできない。

・血液中の赤血球が増える多血症という病気。普段から血液中の水分が足りなくなる。

(血液の粘性が上昇することで頭痛やめまいが起きたり、顔が赤くなったり皮膚にかゆみが出やすくなります。また、赤血球だけでなく血小板が増加するため、血管のなかに血栓ができ、手足に焼けるような痛みが生じることがあります。脳梗塞や心筋梗塞のリスク増)

・脳の中に血管が詰まったところがたくさんできる、多発性脳梗塞に多い症状である小刻み歩行(少歩症)が、かなりひどくなってきていた。歩行のリズムが失われた状態。そのため、号令をかけることで多少足が前に出やすくなる。「いっちに、いっちに」と号令をかけて階段をのぼっていく。

・介護というものは、たとえ日中はデイケアやデイサービスに行ったとしても。家族の負担が全部消えるものではないのだ。

・老人医療の最前線にいる医者にとっては、変化のない日々はかなりつらいものだ。私はそんな状況でも、寝たきりの患者さんのところに行くことが、その患者さんの存在を認めることになるのではないかと思っていた。 →人として接する、ユマニチュードと共通。

・だれも訪れない病室に行き、患者さんに声をかけることが私の仕事ではないか、と思うようになった。

・介護の本当の理由はそこにあるのではないか。褥瘡ができないようにする、食事の介助をすることも重要だが、本当の目的は、どれほど重症になっても介護し、その存在を認めることなのではないだろうか。

・在宅医療の重要な条件のひとつが、いざというときにすぐに動いてくれる医療機関を知っているかどうかということ。

・どんな医療機関も、すぐには入院させてくれない。だから普段からどこかの病院にかかって、コネクションをつけておくことも必要。

・医者というものは、一度みた患者さんには責任を感じるものだ。

・介護するために会社を休むことと、仕事をして介護の費用を稼ぐことは同じ意味だと考えられればかなり家族は楽になる。

・入院のやっかいな点は、すべてまかせきりにできない点。汚れた衣類を取りにいき、代わりに洗濯をしたものを持っていかねばならない。有料でいいから洗濯して消毒までしてくれるサービスがあるべき。

・母が病気になって、父といろいろ話す機会がふえた。それは母が父と私にくれたプレゼントのように思った。 →介護のよって起こる良い状況もある、、、

・前立腺肥大などがあると風邪薬の副作用で尿閉を起こすことがあり、ときどきお年寄りが脂汗を流して外来にやってくる。

・家族にとっては、資格よりも介護する相手を気遣う心をもてるかどうかということ。

・顔を認識するのは大脳の右側でおこなっていて、その機能が壊れると相貌失認といって人の顔を区別できなくなる。脳梗塞などで、右の後頭葉が壊れると起きてくる。

・新しくなった診療所を見せることができなかった。生きているということは、体験できるということであろう。それができてこそ、自分の存在を確認できるような気がする。 →色々なところに連れ出したり、体験してもらうこと。それこそが例え介護を受ける状態になっても、自分の存在確認。 →どうしたら、色々な体験をしてもらえるか。

・名医の定義:いざと言うときにすぐに動いて病院や医者を紹介してくれる医者だ。一般にはかかりつけの医者が大切になってくる。そこからの紹介があるのとないのでは、病院の受け入れが違ってくる。

・手を握って離そうとしなくなる。把握反射で、大脳の前頭葉の機能が低下すると出てくる症状。

・私は家族がおかしいと指摘した場合は、医者がもっと慎重になり、診察や検査をしなければいけないと思っている。しかしそれは難しい。患者の家族からの指摘に従うことは、自分がきちんと診ていなかったことを証明することになるから医者はそれを無視し、自分を権威づけようとする。

・口から物を食べるというもっとも基本的な運動能力を維持するために、人間の脳神経は二重の構造をもっている。手足の運動神経は左右の脳の一部が脳卒中で壊れれば、反対側に麻痺などが出る。飲み込むという運動は喉を動かさなければならない。その動きは脳神経の一部で支配され、左右両方で交差してコントロールしている。片側が壊れても、十分機能が保たれるようになっている。・つまり飲み込めないという症状は、左右に複数の脳梗塞の跡があるということ→左右どちらかこわれても飲み込みできるしくみ!スゴイ!

・ときどき、病気の意味を考えることがある。病気が悪であるなら、病気になりにくい人間だけが生き残ってきたはず。進化論的に考えれば、いまだに病気がこれだけあるというのは、何か別な意味があるように思えてならない。病気がなくなることなく、人類とともにあるのは、ゆっくり遺伝子を変化させ、新しい環境へ適応できるように人類が変わっていくことのできる手段を残しているのかもしれない。 →コロナ禍の今、この文章を見るとハッとしてしまう。

・ロックド・イン症候群は脳卒中の特殊なタイプで、意識も判断の能力もあるが、手足は動かず、眼球の動きや瞬きだけで意思を伝えることしかできない状態をいう。

・患者のわずかな訴えや反応は意識のないものであると見ていたが、家族の視点は違ってくる。医学教育では患者さんのわずかな変化に気がつかねばいけないと教えられるが、臨床を経ていくと次第にその視点が失われ、自分の経験していること以外を排除していくようになるのは不思議である。