「対話する医療」を読んでいます。

「対話する医療」孫大輔著。これも古本屋で300円でした。積読だったがちょっと読みだしたら面白い面白い、、!「家庭医」として働く医師の多様な分野にまたがる実践報告のエッセイ。

p26 「家庭医は患者個人を家族というシステム全体の中に位置付けて診る視点を持つ 」つまり、家族関係、ライフサイクルなどの視点から患者を複合的に診るということ。これは介護職、ケアマネージャーなど福祉職も共通する分野ですね。(むしろもうやってるところかも?)

また、家庭医は「家族カンファレンス」をするとのこと。「医師、看護士がファシリテーターとなり患者や家族と対話して問題点やプランをまとめていく」 そうです。私が個人的に本を読んだりしていた、会議ファシリテーターの技術がここにも登場。「対話」について述べると、最近よく聞く 哲学カフェや対話カフェ等事例も。オープンダイアログについても言及されています。著者は腎臓内科医の頃の経験から対話の必要に気づき実践を積み重ねてきたそう。「みんくるカフェ」を定期的に開催、など。(みんくるカフェ聞いたことあるぞ。) 近く職場で新しく始める認知症カフェのヒントになりそう。プログラムをどうしようか、と話し合っていたが、そういうのはなくて「対話する場」で良いのかもしれない。そこのファシリテーションの知識、技術が必要になってきそうです。

芸術を使った医療者教育の事例も興味深いですね。「シネメデュケーション」という教育方法が紹介されています。映画の一シーンからディスカッションをするなどの手法で、マシュー・アレキサンダーが提唱。例として、シーンを見て「何を観たか」「何を聴いたか」「何を感じたか」「何を考えたか」などの質問を用いることもある、とのこと。この質問内容、とても優れていると感じました。「〇〇さんはどうしてこういったのでしょうか」などの質問をする時点で、答えてもらいたい正解がうっすら見えてしまい、生徒はつい望まれた答えを言ってしまいがち。そうではなく、最初に「何を見たか」と聞くのは、「誘導しない」という強い意志を感じます。その方針でプログラム化されていそうです。

また、本文内で医学教育に有用な映画作品リストについて紹介しています。これは医療者、福祉関係者にとって自習課題かもしれません。
リンク→ 生命医療倫理教育に有用な映画作品リスト
固い映画ばかりかと思ったら、Xメンやトレインスポッティングなども。映画を見て感想を、まとめる。また、一緒に職場の同僚と語り合う。そんなことができるといいなと考えました。

こちらは私の最も興味ある部分、演劇分野の活動。その名も「糖尿病劇場」(!)
糖尿病患者の診療場面のすれ違いを劇にして、見終わったら観客でディスカッション。患者と医者だけでなく内面を代弁する黒子が心の声を言語化するとのこと。(これは介護現場のシーンでも応用できそう。対利用者、対ご家族、同僚とのコミュニケーションに困ってしまう場面とか)役者は実際の医療者が演じるそうな。糖尿病劇場、これは一度見てみたいですね。

著者は現在は医学生教育に関わってるそうです。対話をもとにしたこの分野は、医療の技術というよりは、人間性を深める、尊厳についてじっくり考えるといった本質的な教育につながるように思います。時間や手間がかかる教育は中々難しいかもしれないが、ここにこそ医療・福祉の「安易な実践にならない」ヒントがあるのではないでしょうか。

参考 糖尿病劇場→ https://youtu.be/_z3-FbwtNBs

患者のニーズを多職種で探る「糖尿病劇場」(第12回日本プライマリ・ケア連合学会の話題より) | 2021年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院 (igaku-shoin.co.jp)

シネメデュケーション実践のブログ記事→http://blog.livedoor.jp/yokobayashiken/archives/51995123.html…

調べてみましたが、医療者限定のクローズドだったりが多いようですね。 どなたか介護職でも体験できるところご存知だったらお知らせ下さい(笑)

「比較福祉の方法」はすごい本だった

ブックオフで安く手に入れた本、「比較福祉の方法」。積ん読していて、中々手が出なかった。度々の断捨離になぜか生き残り、先日ふとパラパラとページをめくってみた。海外の福祉情報が紹介され、それを比較するのだろうと思っていた。ところが、全く違っていて、これはとんでもない本だった、、!

冒頭から各所に会話が載っている。誰だか知らないおじさんの頭部の写真が10枚位並んで載っている。後ろの方では、ビートルズのバンドスコアが抜粋されている。、、?なんだこれ? グラフや表はあるが中世のフランスだったり、九州の地図が載っていたりする。

著者は久塚純一氏。初版の2011年当時は早稲田の社会科学総合学術院教授とのこと。福祉系の研究の道も夢想したりするが、この教授のもとで学んでみたかった!系譜を継いでる方はいないだろうか、、?とまで思うほど、良い本でした。

冒頭からぶん殴られる。筆者は福祉の世界にはお約束が、あるという。それは『福祉についての研究や実践を根本から疑うことはしてはならない』というもの。それに気づかず我々は日々無自覚に実践してるのだ。こうなっている構造を、著者は「福祉の大衆化」をキーワードに鮮やかに解き明かしていく。

ざっと私なりの解釈でまとめてみたい。福祉の大衆化=誰もが福祉について考えることのできる時代となり、福祉や、介護はは「大事なこと」として、価値が付与されることになる。それは現場の不足状況と関連して、マンパワーの向上、資格の創設という流れにつながる。すると、技術の向上といった分野ばかりが価値を持ち、その根本について疑問を持つことが難しくなる。

根本の疑問とは、例えば。介護保険は要介護認定で判定するが、その基準は果たして正しいのか?どういうプロセスを、得て決まったのか、またその権威を与えているのは誰か?を、考えること。そんなことを、考えるより認知症で困っている現場の解決策を、考えるのが先、介護職を増やす議論をする方が先だという空気が先に立ち、それが前提になっている。そのことに無自覚に議論や実践が始まってしまっているのではないかという問いかけにまさしく無自覚だった私。

もし、あなたが福祉での仕事や、介護の話題で何かモヤモヤしたものを感じてるとしたら、この本はヒントになるかもしれない。少なくとも私はホッとした感覚がありました。 介護福祉士の専門学校で学んだのですが、あれ?これってどういうこと?などという疑問が生まれても、実技テストやレポートをクリアしなければという圧を感じて押し殺していた部分が有ったので。

この本には繰り返しポイントとなる著者の主張が出てきます。
「書かれたものを見れば、書いた人の位置が分かる。」頭髪の写真はこれを分かりやすく表現した例でした。
「議論の前に、その定義がどこから来たのか、誰が決めたのか考える」『障害者』とは誰が決めたのか。視力検査の成り立ちを紹介する章はスリリングでもありました。
「その人でない立場の人が果たしてその人を表現できるのか」総体を表現する例で、ビートルズのスコアが出てきます。本人を、抜きにしたケース記録とは何なのか。実際は一部なのに全体を表現してると思いこんでいないか、、(!)

これは再読しよう。紹介しきれなかったですが、制度についても多数書かれており、介護保険の制度について考えるきっかけにもなりそう。フランスの医療制度、そうなの?!という驚きもありました。また、再読して気づきがあればどこかで書きたいと思います。

「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること」 を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

7冊目:「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること 」河合雅治を読む。 元産経新聞論説委員のジャーナリストの方が書いた本の2作目。一作目は読んでないのだがベストセラーだそう。今作は少子高齢化・人口減少社会が個人にどんな影響をもたらすか、ギフトカタログのように一覧してみるというコンセプト。 すごく悲観的にシュミレーションして書いてあり、実際にこれらのことが起きると考えると、とても背筋が寒くなる。少子高齢化、人口減少、とフレーズで止まるのではなく、そうなったらどんな日常になるだろうか?と考えることが大事だと思いました。山崎亮さんの「コミュニティデザインの時代」という本は、人口減少を逆にすごくポジティブに捉えている。とても対照的。両方とも読んでおくと多面的に考えることができる。

・2016年、初めて年間出生数が100万人を割り込んだ。

・合計特殊出生率をおいかけても実態は把握できない。過去の少子化の影響で、今後は子どもを生む女性の絶対数が減っていくから。

・2017年、65歳以上高齢者の3人に一人は80歳以上。2043年(22年後)は総人口の7人に一人が80歳以上。高齢化率(総人口中の65歳の割合)は36%を超える。

・高齢社会の次は多死社会になり火葬場が足りなくなる。同時に住職不足で葬式も法事も待たされるようになる。

・8050問題:1980年代に10代で引きこもった子どもが、そのまま年齢を重ね親は80代、無職の子どもは50代で経済的、精神的にも行き詰まる家庭が増加する社会問題。

・団塊ジュニア世代:日本で1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)に生まれた世代を指す。(現在47~50歳)第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる。2042年はこの年代が70歳に突入する年。2042年問題(高齢者数がピークを迎える)。団塊ジュニア世代は人数が多いため、10年前よりおよそ半分の水準で出世できていない。正規・非正規とも老後に貧困になる可能性が高い。

・刑務所内で高齢化が進み、刑務官が受刑者の介護をするケースが増えている。

・筆者は、個人でできる対策も紹介している。高齢になっての対策の一つに「起業」があった。女性起業家についてのデータで、起業の理由に「家事や子育てをしながら柔軟に働けるから」と。起業家は仕事が忙しくて大変だと思っていたが、自分のライフスタイルのために起業することもあるのか!!と驚き。起業にかけた自己資金は50万円以下が25%とトップ。元手が少ない分、起業家の手取り収入は半数以下が20万円以下。老後資金の蓄え、年金の足しとして考えれば大きい、と。なるほど~小規模な起業、という選択肢もあるのか!!それを知れただけでもこの本を読んだ甲斐がありました。

「恍惚の人」を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

4冊目:恍惚の人 有吉佐和子著。この小説、本当におもしろくて深い!なぜ早く読まなかったのか。

この本は3つの視点で読める。第一は認知症介護の参考書としての本。認知症の実際の症状や困った状況が具体的にどう現れてくるのか。そのサンプルがたくさん。認知症の症状は普遍的なので、この本が普遍性を持つ理由がそこにある。第二は生活史としての本。当時の風俗、流行、生活様式が細かく描いてあるので資料として参考になる。主人公の同世代の登場人物から、「私は大正の生まれですけど」というセリフがあるので、大正末期~昭和一桁世代だろうと思われる。それはそのまま、私が毎日お会いしている高齢の利用者さんの世代である。第三は女性について。共働きの主人公夫婦のやりとりから、当時の女性の置かれた状況やその感じ方などがよく分かる。現在の状況がどこからつながってきたのかを知ることができる。女性が介護を担ってきた歴史でもあり、上野千鶴子さんの著作ともつながるんじゃないかな。

・言わずとしれた介護文学の金字塔。この大ヒットで社会が動いてその後の福祉政策にも影響を与えた。

・時代背景についての衝撃。この本は昭和47年6月、新潮社より出版された、とある。昭和47年ということは25を足して1972年。今からほぼ50年前の本。

・まず痴呆(認知症という表現は当時はないのでそれにならって)になる茂造というおじいさんに対して「明治の男」という表現。明治時代の経験者がいた頃なのね。そして、平均寿命の話。女性は74歳、男性は69歳と小説の中で語られる。60代でなくなるのが一般的だったとは!今だとまだまだ若いって感じですよね。これって今と地続きのようでいて、全く違う世界のような気がしませんか。あまり注目されていないかもしれませんが、日本は余命の捉え方が大きく変化していたんだなと思いました。それに、おじいさんの長男は戦争を経験、戦後抑留していたと書かれている。シベリア抑留でしょうか、こういった経験が身近にあった頃。

その他、気になった部分!

・不相応に贅沢なものとして、冷凍庫と洗濯物乾燥機が出てくる。

・「流行のパンタロン」というフレーズ。

・毎年、敬老の日から一ヶ月間 10月15日までは65歳以上のお年寄りは無料で健康診断が受けられる。

・昭子は事務所で邦文タイピストをしている。洋文タイプは機械もタイピストも颯爽としてる。邦文タイプライターは活字の数多く、特殊な感じは一々スペアの箱から拾いあげるので、手間暇のかかる不細工な仕事。

・方向感覚の障害。とんでもないところへ向かって突進する。突然立ち上がり柱にぶつかったり、最後は縁から落ちて足を折って動けなくなった。

・水道の蛇口、ガス栓でも目につくと触って捻る。ラジオ、テレビも突然音が大きくなる。

・病院で流動食をゴム管で鼻から通す。保険がきかず完全看護で孫たちで負担をしている。

P104ぞろっぺい(形動) (「ぞろっぺい」とも) いい加減なこと。疎略なこと。また、そのさま。あるいは、しまりのない人。主に関東でいう。ぞろっぺ。

P113昼食後、納戸でゆっくり着替えている。「何処へいくんですか」「婆さんを迎えに行きます」「おばあちゃんは何処に行ってるんです」「東京です」「ここは東京です」と何度もいうも、どんどん着替えてネクタイ締めて靴を履く。耄碌した感じはなくどんどん歩く。後ろから飛びかかって止めるも馬鹿力で跳ね飛ばされる。信号も見ず一度も止まらず歩く。「昭子さん(嫁の名前)心配しますよ」と声をかけると足をとめ、「昭子さんがどうしました」「家で心配してますから帰りましょう」回れ右して歩き出す。合計二時間以上歩き続ける。

P178門谷家のおばあちゃんの震災の話「本所の被服廠の焼け跡。十二階が上から燃え落ちて四階でボッキリ折れたのも見た。火事が3日続いた。人間がこげてかりん糖みたいに固まっていた。生き残った男たちは竹槍を持って自警団というのを作った。大杉栄が伊藤野枝と殺されたのもあの頃。肉がちょっぴり入ったすいとんが一杯十銭、暑い中を行列して買った。」

p192本所の被服廠がかりん糖で、日比谷で肉すいとんの行列買い。テレビで学生が暴れているニュースを見て、「米騒動だ」と騒ぐ

P179夕食後の入浴介助。脱ぎ着は自分でできる。湯船に入ったらいつまでも出てこない、洗い場に尻をついて座る。石鹸はなくなるまで手をこすっている。

P199「愛が終わった」流行語→?

P208大正時代の話。・そろそろドンだよ、とかガス灯のつく時間だ。百円をギザと言って、孫には百円をチリ紙でひねってくれる。・

P216「事実この夜から茂造は頻繁に目をさましては、その都度暴漢が入ったと叫ぶようになる」

P256「怪獣のまねかなあ」→体操だった。「いつの時代の体操を茂造は思い出して実行しているのだろうか」

P261昔話に耄碌したした年寄は出てこない。芝刈り、洗濯と働いている。40過ぎに生まれたのを桃から生まれたことにしたのかも。

P276「女にとって、眼鏡をかけることは由々しい事態である」

P289骨壷から奥さんの骨を取り出し食べるシーン。

P300「厚生省社会局老人福祉課に照会してもらったところ、地域の福祉事務所に老人福祉指導主事というのが必ずいるからその人に相談するといい」

P305東京都民生局発行「老人ホーム利用案内」のパンフレット:低所得者のための養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホームの四種類(当時)。特養は投薬・治療必要とする人は入所できない→現在との比較をするのも面白い。施設の変遷。

P326「今から何十年後の日本では六十歳以上の老人が全人口の80%を占めるという」「昭和八〇年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという」

P371便所へ行かなくなった代わり、排泄は時と所を選ばない。おむつは常時当てておかなくてはならなくなった。近所の家からおむつが乾かないと、乾燥機を借りにくるようになった。→朝食後誘導したら、おむつでなく排泄できたのではないか?

P395便所での物音。「肥壺に落ちていないかと心配した」

P396陶製の男性用便器―一般にアサガオと呼ばれているーを抱えて足をばたばたさせていた。

P380満八十五歳の誕生日にホオジロを買った。手の届かないところへ吊るしてある。終日、小鳥を眺めている。→アニマルセラピー、小鳥なら直ぐにできそう。。

インプロがひらく〈老い〉の創造性 を読む。

インプロがひらく〈老い〉の創造性 くるる即興劇団の実践 園部友里恵著 を読む。気になった部分を抜き出し&コメント。これは専門書100冊チャレンジの三冊目です。

第一章

・著者の高齢者演劇に関する調査によるとシニア演劇の主体は健康な高齢者。

・サンフランシスコの演劇カンパニー「BATS Improv」バーバラ・スコットさん。高齢者対象のインプロWSを行っている。

・理解を確実にするため、ほんの少しだけゆっくり進めたり、多めに繰り返したりする。高齢者扱いされたくないという気持ちにも配慮する。

・「ゆっくり」と「繰り返し」。一回のクラス90分の中で扱うゲームは多くても2,3種類。同じゲームを小グループのメンバーを入れ替えながら何度も繰り返していく。

・身体の状態に常に注意を払う。

・バーバラさんのクラス。「疲れたら座ってもいい」という声かけしていないのに、参加者が自分の状態にあわせて参加の仕方を変えていた。すぐ座れる位置に椅子が配置。

・介護施設でのインプロ見学。・Mindy Cresonさん

インプロを用いた認知症メモリーケアの実践。「むかしむかし、、、」「毎日毎日、、、」「ところがある日、、、」その後に文章を付け加えて一つの物語を完成させるもの。つなげる順番は決まっていない。

・一文付け加えるたびに、最初のむかしむかしに戻って何度何度もも読み上げるのが特徴的。最後に「この物語の教訓は、、、」で終わる。次の物語にいくのではなく、今作った話を深める方向にいく。出てきた犬の名前は?どんな大きさ?目の色は?鳴き声は?海の色は?と五感を使った質問をする。

・何を言ってもアイデアとして受け入れられる。何も発言しない人もいる。

・ファシリテーターが、そこで生まれた物語をとても大切に扱っていると感じた。

・ミンディさんの、脳梗塞による半身不随と失語症の劇団員に対してのアドバイス。「彼を中心にすること」

第2章

・「インプロ体験を通じて、日常のコミュニケーションを振り返る」、が当初のインプロ講座の目的

・くるる即興劇団、稽古は月2回、一回90分~120分ほど地域の会議室や研修室にて。稽古の内容はカリキュラム決められておらず即興的に決める。年に2回、公演を行う。公演場所は稽古と同じ場所。上演時間も稽古と同じ平日昼間、90分~120分。

→こういうやり方もあるんだ!舞台に立つことをフラットに行ってみよう。

・当日まで役がふられていず、どんな物語かわからない。その日誰が出演するか自体分からない(!)当日体調不良で欠席したりしても大丈夫。、、、なるほど!!高齢者劇団に合ってる形式なのだ

・公演後のインタビュー調査で、自分が出すぎてうしろめたいという語りが出る。

→演劇公演を研究として、出演者・スタッフにインタビュー調査していくのどうだろう?

そこで何がどのように受容されていったか、を共有できると面白いのでは。

・席を円にして舞台と客席を分けず見せ合う。ルールから外れた人がいたら「新しいゲームが生まれた!」という。

・舞台上ではアイデアが出てこないのに、客席にいるとふってくる。

・一般にフリーシーンはハードルが高いが、高齢者インプロではそれが逆転する。ルールの理解が苦手なひとにとっては、ルールのあるゲームはハードルが高く、フリーシーンはむしろ取り組みやすくなる。

・稽古のウォーミングアップの進行役を劇団員にまかせる。今までやったこと、テレビで見たりしたことでもよい。条件は「みんなができそうなもの」。

・著者が妊娠・出産で欠席。ファシリテーターがいなくなった時、新たな関係性が生まれる。

・インプロでは、失敗が受容される。(まともにいかない・詰まったり・調子のはずれたことを言う人のほうが面白い)舞台にたつことを強要されない。関係の深さを問わず誰の隣にでも座ることができる

第3章

・ジブリッシュカード。小さな画用紙にでたらめにひらがなを書いてもらう。でたらめな言葉カードを持ち、セリフとして使って会話することで、シーンを作る練習をする。

→でたらめセリフを作るワークとして、できそう、、?ひらがなポーカーのカードがあるので、それを一枚ずつ引いてもらい、口に出す→カードに書く。進行役が話しかけるがその人はそのカードの言葉でしか話しちゃいけないルール。

・間違った発言から生まれたゲーム。両肩を上げて下げる時に「ストン」と言う。次に皆で息を揃えて「ストン」と言ってみる。

・骨折してるから出演「できない」→インプロでは骨折してるから「できる」シーンがある

・仮面演劇で「年寄りだからできるような動きがあった」

・仮面をつけて言葉がでなくなる状態はどこか老いと似ている面がある。1どんどん自由になる。2どんどん制約がふえていく。

第4章

・スポンテーニアスな状態:意識的に生み出すのではなく何かが自然に生まれてくること。

・ジョンストンの本「インプロ」。6歳の子どもに質問してアイデアを引き出したり、9歳の子どもとワンワード(複数名で少しずつことばを足して文をつないでいく)物語を共同で作り上げる様子が描かれる。→専門書認定。買おう。

・顔作りゲーム。人数分のA4用紙を配る。紙には直径10センチの円が一つ印刷されている。グループで順に線を足しながら、その顔を完成させていくというゲーム。変顔にする、誰が描いたか分からないようになる。

・脳梗塞の劇団員トシちゃんのエピソードの章。トシちゃんの言動が引き起こす笑いは、本人が意図しているのかわからないコミュニケーションのズレから生じる。これを笑っていいのか問題について考えさせられた。本人を傷つけてしまうのではないかという危惧。好意的な笑いとバカにする笑いとどう違うのか。

・稽古場に来れなくなった人のために自宅に訪問して出張稽古を行う。これすごくいいなあ。来れなくなったら終わりでなく、続けるための方策がある。これを思いつけるのがすごい。自宅で、奥さんが障害のある夫の役を演じて車椅子に座る。現実と虚構の境目がとけていく。オイボッケシの作品を思い出した。

・福笑い絵本で自由に顔を作る。その顔をまねするワーク。

第5章

・あらかじめできそうなゲームを選択することは、はたして良いことなのか。

・平日午前中という時間帯の設定で高齢者、しかも70代後半から80代の方が申し込んだ。→「平日昼間」は何かこういう場のニーズがあるんじゃないか。デイサービスではなく。

・「できない」状態であっても関われる学習コミュニティを作りたい

・認知症予防の活動は、できない人の不安をより煽るのではないか。

・呆けへの抵抗に違和感を感じる著者。だが「呆けの面白さ・豊かさがあるから呆けてもいいじゃないですか」というのは何か違うと感じている。高齢者同士の関係ならいいが、そうではない自分(筆者)がいうのは無責任だという。

・インプロを学ぶ時だけでも「迷惑をかけあえる」関係や、自分が「迷惑」だと思っていることが「迷惑でなくなる」コミュニティにしたい。

・呆けがもたらす表現も、呆けへの抵抗も、どちらも高齢者だからこそできる表現。

・「できない」と思っていた人も、自身の問いかけ次第で「できるひと」にもなりうる

・とっぴな答えを一つのアイデアとして受容する。

→その場にそぐわない言葉が出て困った時、「それ、いいアイデアですねえ!」とまず言ってみる。その後どうつなぐかは、、、それこそ即興(笑)

・この本の結論:インプロは高齢者の老いのイメージを「一部」ポジティブに変容させる。

・インプロが支配―被支配の関係にならない理由の一つが「その場限りである」こと。継続して上達していくを実感・確認できる機会もないことが、高齢者にとって上手い下手などの上下関係などにならない、フラットな関係を生み出せる。

・コロナで生まれたハガキで即興!ハガキにお題を書き、それに答えを書いてもらい、お便りとして共有するというもの。

→お便り出したら、読まれることって嬉しいんじゃないか。疑似ラジオをやるとか。高齢者の方で、聞けるラジオの方法ってどんなのがあるかな。

・老いを迷惑をかけることと思う祖母に「迷惑と思うかもしれないけれど関われるから楽しさが生まれる」→そうだよね、迷惑かける状況じゃないと「関わり」まで至らない。

→本全体で、認知症という言葉ではなく呆け、を使っている。三好春樹さんの考え方を用いているのだろうか。

→失敗することが捉え方によって価値をもったりすること。「注文をまちがえる料理店」のプロジェクトとも通じる。 →研究の事業なので、インプロで活動を行うだけでなく、インタビュー調査が行われ、その聞き書きも載せられている。単なるワークではなく、聞き書きがあることが重要なポイントだと思う。実際に参加してる方々の内面やゆらぎは、ワークショップ後の簡単なアンケートではすくい