【入浴介助】何枚も上手(うわて)のご利用者さんに介護職が右往左往する話。

デイサービスの利用者さん、一人暮らしで入浴されていないとケアマネから依頼。お風呂にお誘いしても「昼間入ると風邪引くから、、」と拒否される。 カラオケ好きなので、こんなチラシを作ってみました。

100均で300円で売ってるお風呂用スピーカーでBluetooth接続。お風呂で好きな曲を流します、入浴剤も入れてあったまりますよ。とお伝え。 先月はこれで毎回入って下さった。ところが。今月になると、やはり「風邪引くから」、「昨日入ったから」などの理由で入浴はされず。基本、無理強いはしない方針なので、少し粘ってもだめなら「そうですか、じゃあまたの機会にぜひ」とお答えすることにしている。

前回入浴されたときは「お風呂入ってカラオケできるなんて最高だねえ」と仰っていたことをお伝えしても、お風呂に入ったことも認知症の記憶障害ため忘れていらっしゃるため「え?ここで入ったことないよ」とのお返事、、(泣)

へこたれず、別のチラシを作成。

名付けて「仮予約入ってますよ」作戦。「今日いらっしゃるとお聞きしたので、仮予約入れてしまったのですが、、今お試し期間中なので良かったらぜひ」、とお伝えすると 「そうなの?じゃあ入ろうか」 と入って下さった! お風呂入れば浴槽で熱唱。最高だね!といいながら上がって昼食になるのは変わらずなんですけどね。いつもあの手この手でお誘いしてるんです。

そして、4月に入ってからは、このやり方でもお断りされました(笑) 翻弄されてる、、でも介護職は翻弄される仕事ですからね~。このところ、何度かお誘いしてもダメだったので、別の方法を検討。 先日、看護士がご家族の依頼もあり、足の爪きりしていたのだがその際はすんなり靴下を脱いで応じていらっしゃったのを思いだした。足浴から入浴する気持ちに繋げられないか?と考えてプランを立てる。

まずお風呂場へのお誘い。「お風呂に入りませんか?」では即「昼間入ると風邪引くから、、」とお断りされてしまうので、 「体重測定宜しいですか?」とお誘いすると「いいよ」と浴室まで来て下さる。先日は脱衣場で計測していたが、今日は浴室に体重計を置いて測定。 そこで浴室イスに腰掛けてもらい「先週足をみていた看護士さんから、○○さんの足の爪の様子みてほしいと頼まれてます。靴下脱いでいただけますか?」→すぐに脱いで下さるので、用意していた足浴器を出すと「ここに足入れるの?」「はい」と私。爪きりを持って観察しながら、利用者さんの好きな曲をかける。

「いい曲あるね~」と上機嫌にお話されるので、用意していたカラオケ温泉サービスのチラシをお見せしてお誘い。「これ、前に入ったことあるね」と覚えていらっしゃる。(えっ覚えてるんですか?!との驚きも、、、) 「じゃあ、良かったらお風呂入りましょうか」と脱いだ服をいれるカゴをお出しする。 「え?今入るの?」と少し迷われてるので「これ、道後温泉のなんですよ。とっておきなのでぜひ」と用意していた温泉の素をいれる。すると じゃあ、入るか、、と服を脱いで入って下さった。(!!) 一度入れば上機嫌、「昼にお風呂なんて最高だね」とのお言葉。ああ、良かった久しぶりに入っていただけた。最近、デイで失禁も増えていたこともあり一安心。

ご本人に無理強いはしたくないので、その気になってもらうため色々工夫、の一例です。(そもそも一度入らないになったらテコでも動かない方なのですが、、汗)。 介護職は究極の営業マンでもあるなあと感じる帰り道でした。

「比較福祉の方法」はすごい本だった

ブックオフで安く手に入れた本、「比較福祉の方法」。積ん読していて、中々手が出なかった。度々の断捨離になぜか生き残り、先日ふとパラパラとページをめくってみた。海外の福祉情報が紹介され、それを比較するのだろうと思っていた。ところが、全く違っていて、これはとんでもない本だった、、!

冒頭から各所に会話が載っている。誰だか知らないおじさんの頭部の写真が10枚位並んで載っている。後ろの方では、ビートルズのバンドスコアが抜粋されている。、、?なんだこれ? グラフや表はあるが中世のフランスだったり、九州の地図が載っていたりする。

著者は久塚純一氏。初版の2011年当時は早稲田の社会科学総合学術院教授とのこと。福祉系の研究の道も夢想したりするが、この教授のもとで学んでみたかった!系譜を継いでる方はいないだろうか、、?とまで思うほど、良い本でした。

冒頭からぶん殴られる。筆者は福祉の世界にはお約束が、あるという。それは『福祉についての研究や実践を根本から疑うことはしてはならない』というもの。それに気づかず我々は日々無自覚に実践してるのだ。こうなっている構造を、著者は「福祉の大衆化」をキーワードに鮮やかに解き明かしていく。

ざっと私なりの解釈でまとめてみたい。福祉の大衆化=誰もが福祉について考えることのできる時代となり、福祉や、介護はは「大事なこと」として、価値が付与されることになる。それは現場の不足状況と関連して、マンパワーの向上、資格の創設という流れにつながる。すると、技術の向上といった分野ばかりが価値を持ち、その根本について疑問を持つことが難しくなる。

根本の疑問とは、例えば。介護保険は要介護認定で判定するが、その基準は果たして正しいのか?どういうプロセスを、得て決まったのか、またその権威を与えているのは誰か?を、考えること。そんなことを、考えるより認知症で困っている現場の解決策を、考えるのが先、介護職を増やす議論をする方が先だという空気が先に立ち、それが前提になっている。そのことに無自覚に議論や実践が始まってしまっているのではないかという問いかけにまさしく無自覚だった私。

もし、あなたが福祉での仕事や、介護の話題で何かモヤモヤしたものを感じてるとしたら、この本はヒントになるかもしれない。少なくとも私はホッとした感覚がありました。 介護福祉士の専門学校で学んだのですが、あれ?これってどういうこと?などという疑問が生まれても、実技テストやレポートをクリアしなければという圧を感じて押し殺していた部分が有ったので。

この本には繰り返しポイントとなる著者の主張が出てきます。
「書かれたものを見れば、書いた人の位置が分かる。」頭髪の写真はこれを分かりやすく表現した例でした。
「議論の前に、その定義がどこから来たのか、誰が決めたのか考える」『障害者』とは誰が決めたのか。視力検査の成り立ちを紹介する章はスリリングでもありました。
「その人でない立場の人が果たしてその人を表現できるのか」総体を表現する例で、ビートルズのスコアが出てきます。本人を、抜きにしたケース記録とは何なのか。実際は一部なのに全体を表現してると思いこんでいないか、、(!)

これは再読しよう。紹介しきれなかったですが、制度についても多数書かれており、介護保険の制度について考えるきっかけにもなりそう。フランスの医療制度、そうなの?!という驚きもありました。また、再読して気づきがあればどこかで書きたいと思います。