ケアマネさんの言葉をスマホで調べてみたら認知症薬に詳しくなったはなし

今日のデイサービスの職場にて。ケアマネさんが、「○○さん、ドネペジルが10ミリグラムに増えました」と報告してくれた。私は「ドネペジルって増やしていってMAXで10でしたっけ?」ケアマネさん「いや15です」と。せっかくなのでドネペジルについて調べてみました。

ドネペジルは薬の一般名。商品名はよく聞く「アリセプト」。3mgからスタートし、1~2週間で5mg、4週間で10mgでMAXとのこと。、、ケアマネさん、間違ってますよ!鵜呑みにせず自分で調べる重要性。 ドネペジルはアルツハイマー型認知症だけでなく、レビー小体型認知症の治療にも。

他の認知症治療薬はどうだろう? 商品名レミニール(一般名ガランタミン)8mg/一日を4週間→16mg/一日→最大24mg 商品名メマリー(一般名メマンチン)5mg→1週間に5mgずつ増→20mgまで。

ふと、アリセプトの語源は?と気になった。アリセプトは、エーザイの杉本八郎博士が開発。なんと日本発なのですね。 アリセプト(Aricept)は、 アルツハイマー(Alzheimer)と受容体(recepter)から。 アセチルコリン作動性受容体を阻害する、という作用の仕組みが名前に含まれてるんですね。

レミニールは?REMINYL、記憶するrememberから。かなりざっくりとした命名だけど分かりやすい。これはジョンソンエンドジョンソンが開発。ちなみに一般名のガランタミンは、スノードロップ、ヒガンバナ、スイセンなど多くのヒガンバナ科の植物に含まれているそう。ガランタミンという名前は?スノードロップの学名ガランサスから来ているっぽいですね。

認知症薬で唯一のブレーキ系、メマリー(メマンチン)は?これは語源が見つからなかった。ドイツの会社が開発、日本では第一三共が販売。でも、これはメモリーmemoryから来てそうだなあと、予想。 (どなたかご存じの方いたら教えてください)

(薬の情報などは認知症ねっとの記事などを参照しました。)

普段から勉強する時間ない!と思うけど、ちょっとしたことをスマホで調べてみると色々分かりますね。また、看護職やケアマネに言われると、正しいはずだという思い込みが介護職である私にはありました。今回調べてみて、あっ、ケアマネさんも間違うことあるんだ!と気づくことがありました。こういう知識を積み重ねていくことで、介護職の地位向上につながるかも? いや知識というか、ただの雑学の可能性が、、、(笑)

~園芸と介護~デイサービスは新たな趣味との出会いの場

職場のデイサービスにて。パーキンソン病などで体の移動がゆっくりな方。家では寝てばかりなので、何か楽しみを、、というご家族の希望からデイの利用に。最初の頃は気難しい方で、レクや体操、お散歩にお誘いしても「いいです」と断られてしまう。そんな中、私は前職のデイ経験から、庭にプランターで野菜を育てていた。前の職場は園芸福祉を取り入れ、毎日アクティビティで野菜の収穫や種まきをしていたのだった。(私はそこで割と熱心に勉強し、NHKの今日の園芸を録画するまでになった)(笑)。

今の職場ではプランターでだが、ほそぼそと小松菜、人参、ほうれん草などをやりはじめていた。そうだ!と私は思いついた。園芸なら参加できるのではないか。プランター移動すれば室内で移動もせずすぐできるし。駄目元で水やりをお誘いすると、なんと「いいですよ」とお返事。小さめのジョウロで水やりをしてくださった。簡単そうな作業に見えて了承してくださったのだろうか。大根のときは、種まきからお手伝いお願いしてみた。すると、芽がでて、成長する様子を楽しみにされるようになった。

前の職場では皆でいっせいに「おおきくなれ」と種まき後にプランターに声をかけていた。私は内心、声には出さないだろうな、、、でもこの場に一緒にいて一体感を味わえるだけでも、と思い「じゃあ、一緒に大きくなあれ、と声をかけましょう」とお誘い。すると。「おおきくなれ、おおきくなれ、おおきくなれー」とその方が三回、続けて言ってくださった。びっくりした表情の私に、ふふ、、と笑うご利用者さん。 その後はその方と午前中の短時間、野菜や花の世話をするのが恒例になった。いい忘れていたが男性の方、園芸なんてやったことがなかったそう。

今は冬なので、収穫はないのだが種まきをして芽が出ると「出てきましたね」と興味深そうにしてくださる。園芸活動にお誘いすると、ほとんど参加してくださる。(もちろん今日はちょっと、、と言われるときもあり。)園芸という、生まれて初めてやることがその方の役割や楽しみになっているご様子。 園芸の持つ幅広さ、、、アレンジ次第で参加しやすいアクティビティになる可能性を感じる。また、この例のように、デイに来て新しい趣味が生まれることもある。介護の現場では、その方の生活歴を尊重して、以前やっていた趣味をできるように工夫することが多いのだが、新たな趣味や楽しみとの出会いの場としても機能するかもしれない。さしずめ介護職は出会いのコーディネーターか。

ふれるの考察。結婚式場のスタッフさんのふるまいから

自分の結婚式にて。新郎担当でアテンドして下さったメガネの男性スタッフさんがいた。寡黙な感じで黙々と仕事するタイプの方。式も無事終わった頃、 そのメガネのスタッフさんは、「お疲れ様でした」と私の左肩の横をポンと笑顔で軽くタッチした。

それまでボディタッチする方でなかったので少し意外だったが、その優しいふれ方に言葉以上に気持ちがこもってるように感じられ、感動してしまった。

、、、という経験があり、私は仕事の介護現場でその経験を生かすようになった。

例えば、認知症の方とお話する時。中々打ち解けるのが難しい方。何度かいらして、少しずつ関係ができた頃に共通の話題で盛り上がることがあった。「私もですよー」といいながら軽く肩の辺りをポンとタッチをした。その方は笑顔でお話し続けて下さった。その後、以前より関係が深まり打ち解けたように感じた。

ふれることって難しい。別の方でタイミング間違えて振り払われたりした経験もある。 振り返ってみると、 アテンドのスタッフさんから学んだこの「親愛タッチ」は、 ①ある程度関係性ができてる場合に、 ②いつもより親しみの感情を伝えることができる ものとして使っていることがわかった。

その結果、関係性を深めることができる、、かもしれない。 ささいな行動で、すぐに問題解決につながるものではないかもしれないが、介護職としてこういう積み重ねをしているんだな、、と改めて気づいた。そのヒントは色んなところに転がっている。

ふれる、で思い出すのはユマニチュードの4つの柱 ふれる技法。以下、引用↓

足や背中、肩など、敏感ではない部分から体に触れ、次に顔や手といった敏感は箇所に触れることにより、患者の負担を経験できます。 、、、会話の場面では、もし行うとしたら「敏感ではない部分」へのタッチになる。

ふれる箇所への配慮が必要。 発語のないご利用者の頭や顔を介護者が触る場面を見たことがあるが、気をつけなくてはいけない。また、ふれ方や手のどこでタッチするのか?など考え出すと奥が深い。介護の現場では中々言語化できない部分かもしれないが、意識的にしていく必要がありそうですね。

「対話する医療」を読んでいます。

「対話する医療」孫大輔著。これも古本屋で300円でした。積読だったがちょっと読みだしたら面白い面白い、、!「家庭医」として働く医師の多様な分野にまたがる実践報告のエッセイ。

p26 「家庭医は患者個人を家族というシステム全体の中に位置付けて診る視点を持つ 」つまり、家族関係、ライフサイクルなどの視点から患者を複合的に診るということ。これは介護職、ケアマネージャーなど福祉職も共通する分野ですね。(むしろもうやってるところかも?)

また、家庭医は「家族カンファレンス」をするとのこと。「医師、看護士がファシリテーターとなり患者や家族と対話して問題点やプランをまとめていく」 そうです。私が個人的に本を読んだりしていた、会議ファシリテーターの技術がここにも登場。「対話」について述べると、最近よく聞く 哲学カフェや対話カフェ等事例も。オープンダイアログについても言及されています。著者は腎臓内科医の頃の経験から対話の必要に気づき実践を積み重ねてきたそう。「みんくるカフェ」を定期的に開催、など。(みんくるカフェ聞いたことあるぞ。) 近く職場で新しく始める認知症カフェのヒントになりそう。プログラムをどうしようか、と話し合っていたが、そういうのはなくて「対話する場」で良いのかもしれない。そこのファシリテーションの知識、技術が必要になってきそうです。

芸術を使った医療者教育の事例も興味深いですね。「シネメデュケーション」という教育方法が紹介されています。映画の一シーンからディスカッションをするなどの手法で、マシュー・アレキサンダーが提唱。例として、シーンを見て「何を観たか」「何を聴いたか」「何を感じたか」「何を考えたか」などの質問を用いることもある、とのこと。この質問内容、とても優れていると感じました。「〇〇さんはどうしてこういったのでしょうか」などの質問をする時点で、答えてもらいたい正解がうっすら見えてしまい、生徒はつい望まれた答えを言ってしまいがち。そうではなく、最初に「何を見たか」と聞くのは、「誘導しない」という強い意志を感じます。その方針でプログラム化されていそうです。

また、本文内で医学教育に有用な映画作品リストについて紹介しています。これは医療者、福祉関係者にとって自習課題かもしれません。
リンク→ 生命医療倫理教育に有用な映画作品リスト
固い映画ばかりかと思ったら、Xメンやトレインスポッティングなども。映画を見て感想を、まとめる。また、一緒に職場の同僚と語り合う。そんなことができるといいなと考えました。

こちらは私の最も興味ある部分、演劇分野の活動。その名も「糖尿病劇場」(!)
糖尿病患者の診療場面のすれ違いを劇にして、見終わったら観客でディスカッション。患者と医者だけでなく内面を代弁する黒子が心の声を言語化するとのこと。(これは介護現場のシーンでも応用できそう。対利用者、対ご家族、同僚とのコミュニケーションに困ってしまう場面とか)役者は実際の医療者が演じるそうな。糖尿病劇場、これは一度見てみたいですね。

著者は現在は医学生教育に関わってるそうです。対話をもとにしたこの分野は、医療の技術というよりは、人間性を深める、尊厳についてじっくり考えるといった本質的な教育につながるように思います。時間や手間がかかる教育は中々難しいかもしれないが、ここにこそ医療・福祉の「安易な実践にならない」ヒントがあるのではないでしょうか。

参考 糖尿病劇場→ https://youtu.be/_z3-FbwtNBs

患者のニーズを多職種で探る「糖尿病劇場」(第12回日本プライマリ・ケア連合学会の話題より) | 2021年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院 (igaku-shoin.co.jp)

シネメデュケーション実践のブログ記事→http://blog.livedoor.jp/yokobayashiken/archives/51995123.html…

調べてみましたが、医療者限定のクローズドだったりが多いようですね。 どなたか介護職でも体験できるところご存知だったらお知らせ下さい(笑)

「比較福祉の方法」はすごい本だった

ブックオフで安く手に入れた本、「比較福祉の方法」。積ん読していて、中々手が出なかった。度々の断捨離になぜか生き残り、先日ふとパラパラとページをめくってみた。海外の福祉情報が紹介され、それを比較するのだろうと思っていた。ところが、全く違っていて、これはとんでもない本だった、、!

冒頭から各所に会話が載っている。誰だか知らないおじさんの頭部の写真が10枚位並んで載っている。後ろの方では、ビートルズのバンドスコアが抜粋されている。、、?なんだこれ? グラフや表はあるが中世のフランスだったり、九州の地図が載っていたりする。

著者は久塚純一氏。初版の2011年当時は早稲田の社会科学総合学術院教授とのこと。福祉系の研究の道も夢想したりするが、この教授のもとで学んでみたかった!系譜を継いでる方はいないだろうか、、?とまで思うほど、良い本でした。

冒頭からぶん殴られる。筆者は福祉の世界にはお約束が、あるという。それは『福祉についての研究や実践を根本から疑うことはしてはならない』というもの。それに気づかず我々は日々無自覚に実践してるのだ。こうなっている構造を、著者は「福祉の大衆化」をキーワードに鮮やかに解き明かしていく。

ざっと私なりの解釈でまとめてみたい。福祉の大衆化=誰もが福祉について考えることのできる時代となり、福祉や、介護はは「大事なこと」として、価値が付与されることになる。それは現場の不足状況と関連して、マンパワーの向上、資格の創設という流れにつながる。すると、技術の向上といった分野ばかりが価値を持ち、その根本について疑問を持つことが難しくなる。

根本の疑問とは、例えば。介護保険は要介護認定で判定するが、その基準は果たして正しいのか?どういうプロセスを、得て決まったのか、またその権威を与えているのは誰か?を、考えること。そんなことを、考えるより認知症で困っている現場の解決策を、考えるのが先、介護職を増やす議論をする方が先だという空気が先に立ち、それが前提になっている。そのことに無自覚に議論や実践が始まってしまっているのではないかという問いかけにまさしく無自覚だった私。

もし、あなたが福祉での仕事や、介護の話題で何かモヤモヤしたものを感じてるとしたら、この本はヒントになるかもしれない。少なくとも私はホッとした感覚がありました。 介護福祉士の専門学校で学んだのですが、あれ?これってどういうこと?などという疑問が生まれても、実技テストやレポートをクリアしなければという圧を感じて押し殺していた部分が有ったので。

この本には繰り返しポイントとなる著者の主張が出てきます。
「書かれたものを見れば、書いた人の位置が分かる。」頭髪の写真はこれを分かりやすく表現した例でした。
「議論の前に、その定義がどこから来たのか、誰が決めたのか考える」『障害者』とは誰が決めたのか。視力検査の成り立ちを紹介する章はスリリングでもありました。
「その人でない立場の人が果たしてその人を表現できるのか」総体を表現する例で、ビートルズのスコアが出てきます。本人を、抜きにしたケース記録とは何なのか。実際は一部なのに全体を表現してると思いこんでいないか、、(!)

これは再読しよう。紹介しきれなかったですが、制度についても多数書かれており、介護保険の制度について考えるきっかけにもなりそう。フランスの医療制度、そうなの?!という驚きもありました。また、再読して気づきがあればどこかで書きたいと思います。

未来の介護現場

person holding a stress ball

先日のツイッター・ブログ記事に色々コメントいただきました。その中で、今の我々が将来、デイサービスや老人ホームに入ったらどんなことをするのかという疑問が湧いてきました。イメージを膨らませて、実際の様子を描写してみたいと思います。

デイサービスに行く男性(80歳)。デイにつくと、バイタルチェックのあと、個別のブースに入ります。そこで各種のゲーム機がセットされています。男性はスーパーファミコン型のコントローラーを手に取り、ストリートファイターⅡを選びました。「今日はレトロでいくか、、、」モニターの画面がつき、早速対戦相手を選択。デイサービス内の相手を探します、今日はあまり参加している人がいない様子なのでネット対戦を選択。海外の対戦相手となりました。ゲームをしばらく集中したところで、スタッフ(アンドロイド)から声がかかります。

次は予約していたトレーニングの時間。各種のメニューから好きなのを選択。今日は任天堂Wiiでフィットネスです。高齢者も少なくなっている時代で人間は少ないです。コミュニケーションロボットやアンドロイドが一緒に踊って、応援してくれます。

大型食堂で昼食。久しぶりにあった知り合いの利用者とゲームの話で盛り上がります。何しろ過去数万点のゲームを自由に遊べるので、何にしようか迷う日々です。彼から誘われて、一緒にハイパーヨーヨーをすることになりました。手を使うホビー系のおもちゃは、リハビリホビーとして近年再注目されているのです。「コントローラー以外の筋肉も鍛えなくっちゃな」

16時になり帰宅時間となりました。そのまま帰ろうとすると、受付から声がかかります。「ゴーグル外すの忘れてますよ」「ああ、そうだった」メガネのような機会のチップを外して返します。脳神経に直接アクセスするので視力が悪くてもゲーム画面が鮮明に見えるのです。

なんてことを想像しましたが、うーん、もっと違うイメージがありそう。アバターとか、、、。自分たちが80代、90代になってどんな過ごし方をするのか、デイサービスでどんな歌を歌うことになるのか、考えるのも「介護について考える」ことになりそうですね。おわり。

以下に、以前のブログ記事にいただいたコメントで出た「自分が将来やりそうなもの」やネタをリストしました。参考までに!?どうぞ。
ストリートファイターⅡ:1991年に稼働を始めた第2作。
スマホ:2007年初代iPhone発売
ハイパーヨーヨー:1997年以降にバンダイが発売。第1期(1997年春 ~ 2000/9/24)に最大のブームに。
PS2PSPかセガサターンで三国無双とか乙女ゲー
シムシティ:第1作目は1989年から1991年にかけてリリース。
ソシャゲ
ダークソウル2:2014年3月13日にフロム・ソフトウェアから発売されたPlayStation 3、Xbox 360、PC用アクションRPG。
ゲームキューブでスマブラとか? 桃鉄
座ってばかりの認知症のおじいちゃんに〇〇を手渡したら, シャキッと立ってそれを背負って、キビキビと歩き始めたものは・・・https://i.imgur.com/Lgdivg1.jpg
ミニ四駆やベイブレード
ガンプラ

昔ネットで見た話で 介護施設でお年寄りがテニスだかバレーだかを外でやっていたら 突然イノシシがやってきて職員が騒然となったのだが のほほんとしていた年寄りたちの目つきが変わり、その辺のものでイノシシを追い立てるおじいさんや スポーツのネットでイノシシを捕獲するおばあさんの連携プレーがすごかった、 みたいな話→(真偽不明)

老人ホームに暴れ込んできたイノシシ vs じいちゃん・ばあちゃん – ほっこりする話 (fc2.com)

デイサービスでコンサート

職場のデイサービスで、数人座ってるソファの前に椅子を並べて合唱好きの女性利用者さんをお誘い。「ここに幸(さち)あり」を男性ご利用者のハーモニカ、私ギターの伴奏で歌っていただいた。ちょっとしたミニコンサートに。

ソファで聞いていた男性も歌っていたので、同じ曲の二回目ではその方もステージ側へ。(一回目は女性いわく「練習よ」とのこと、、、)どんどんお客がいなくなり、発表する側へ。 実はボーカルのおばあさん、ハーモニカおじいさん、私で前々から練習していた曲。デイサービスに来る理由が曲を練習するためなら、音楽好きの方はやりがいから通う気持ちになれそう。

ここまでスタッフ主導だったけど、歌が終わって送迎の準備でワタワタしてる時、ボーカルのおばあさんが「じゃ皆で最後に『故郷(ふるさと)』歌って終わりにしましょう」と声をあげ、遠くのグループにも「いい?ふるさと、歌うわよ」と声を上げて皆で大合唱になった場面はその女性(色々リーダーやってた経歴)らしい姿で生き生きとしていてとても良かった。

デジカメでビデオとっていたので、来週は皆で見てみるのも面白そう。でも、一番はどこか地域のお祭りとか、慰問コンサートとかで外部に発表ができるといいのだ。御本人たちも、そんなご希望をおっしゃっていた。今年どこかで実現できるといいな。

介護職の引き出しとは?

デイサービスご利用のおばあさん、認知症の見当識障害のため「あたし何で来たんだっけ?どうやって帰るの?」と混乱されていた。声が大きい方で周囲もザワザワ。スタッフが声かけするも耳が遠いので余計に混乱。

そこで、私はダメ元でフロアにあったお手玉を渡してみた。すると「あら懐かしい、ちょっとやらして」とお手玉し始めた、最初は失敗していたが思い出したのか、そのうち次々と技を繰り出し拍手喝采。 たまたまあったお手玉がその方の経験にヒットし、しばらくその方が主役となる時間が生まれた。

ここまででなくとも、チラシを用意しておいて、一緒にチラシで作るゴミ箱作りを誘うと、黙々とたたんで下さる。 混乱したときや、「もう帰るよ」と、おっしゃった時に言葉で説得するのでは余計混乱しがち、反発が生まれがち。それよりも別の何かをきっかけにすることで、全く違うポジティブ雰囲気の場になることがある

何がきっかけになるか分からないので、職場では色んな小物やグッズを用意している。剣玉、そろばん、紙風船。大きいところでは、デイには卓球台にラケットもある。「認知症ケア」というけど、これらモノを媒介にその方の記憶や経験を引き出す、その時ケアしてるのは果たして介護職か、お手玉たち=「モノ」か。

介護職がやってることは、ヒットしそうなモノや作業、環境を用意すること。好きそうだなと思って用意したけど見向きもされない時もある。この年代の男性なら、、とメンコを用意したら、「やったことない」と言われたことも。逆に、経験したことない園芸作業にはまって水やりが日課になった方もいらっしゃったり。また、スポーツ新聞を買っていってテーブルにおいておくと、手持ち無沙汰な男性ご利用が自然と手にとって読んだりする場面も。 他の例としては、古道具屋で買った昔の教科書(自腹)、昔の俳優のブロマイド、地元のローカル線の本、ベーゴマ、編み物の道具、リリアン、ミシン、レコードなど、、、。

その方に何がヒットするか?精度を上げるためには、やっぱり介護職は近代史の知識が必須。 その時代の共有体験、例えば東京オリンピック、万博。その方が子ども時代にどんなおもちゃが流行ったか、どんな服を着ていたのか、どんな映画・音楽がはやっていたのか、風俗史、民俗史、芸能史の知識もあるとヒットする精度があがる。これは介護職の「引き出し」。歴史や風俗の知識もそうだし、実際にモノを調達して用意しておく。言葉通り引き出しには色んなモノが入ってる。

今の人にしたらガラクタにみえるものも、介護職にとっては仕事の武器みたいなもの。こういう仕掛けを準備して、トライアンドエラーしてる毎日ですね 、、、と。こういうことを無意識にやってるんだなあ!と書きながら気づきました。これは毎日の仕事で言語化できてなかった部分。この、モノや作業や環境を媒介にしてその方の興味・経験・能力を引き出すケア。これをなんと呼んだら良いだろう?言語化できたがネーミングまではいたらず。仕掛けケア?引き出しケア?良い呼び名があったら教えて下さい(笑) おわり。

介護職の手は仕事道具

数年前の私の結婚式の日の出来事。写真撮影でポーズつけるため私の手を取ったカメラマンがハッとして「ご主人、手が柔らかいですね~、女性みたい」と言った。私は内心「えっ?何それ?」と戸惑っていたのですが笑ってごまかした。実際に、自分の手をさわってみると確かにゴツゴツはしてない、、でもそんなびっくりするほど柔らかいかな?と自分では思い、ちょっと心外な気分でした。今まで言われたことなかったですし。

そんなことが、ありながら式も無事終わり、日常に戻って介護の仕事(当時は高齢者の入居施設)をしていたある日。着替えの介助をしながら「あっ、介護って人のからだにふれる仕事だ!」と気づいたんですね。ということは、私の手が柔らかいのは、身体介助の場面で役にたってるのではないか?

認知症の方で何故それをやるのか理解難しい場合など、ふれる手の違いが与える安心感に影響してるかもしれない、、。 そう考えるようになってから、手のメンテナンス(クリーム塗るなど)するようになりました。介護職の仕事道具は「手」である、、!

入浴介助、トイレ介助など、肌にふれる場面は多いし、よりプライベートな部分に近くなる。そこで手でふれることで安心感というメッセージを発してる。意識的にはふれ方を変えることでコントロールできます(ユマニチュードの技法参照)。ただ無自覚な部分で、ふれる手の質感はコントロールできない。手が固くてゴツゴツしていたらこの人は近寄りがたい印象だ、、なんて思わせてるかもしれない。私の場合は無意識的にメリットがあり、気づかない恩恵を受けていたことも有りそうですね。ケアがスムーズにいった時、自分の介護力(声かけやコミュニケーション能力)があるからだと思っていましたが、実は手の質感が大きな影響を与えていたなんてこともあったりして。(それはそれでショックですね笑)

質感もそうだけど、手の温度もあるかもしれない。私は冷え性で冬場は冷たくなるのでとても困る、、、。ホッカイロであたためるなど対応しますが中々難しい。手のあたたかい人というのはとても良い印象を与えますよね。このように考えていくと、「手のチェック」をすることは介護職にとって必要だと気づきました。まずは自分でふれてみる。やわらかいか?固いか?手が荒れていないか?温度はどうか?さらには、家族、できれば職場の同僚にさわってもらい感想を聞く。そうすることで、今まで無自覚だった、手のひらのメッセージを意識化することができる。 うまくいかないケアの場面で、これが原因だったらもしかしたら改善する可能性だってある。

もっと大きくいうと、介護の仕事というのは、自分の無自覚なメッセージを意識化する、そしてそれをコントロールする仕事 、なのかもしれませんね。

訪問介護中に起こった奇跡的なコンサートについて

昨日は思わぬ場所でコンサートを聴けました。訪問介護の人手が足りないとヘルプで男性の利用者さんのお宅へ。70代で認知症はなく、歩行障害のある方。前にも訪問行ったこともあり、その時も音楽の話で意気投合。音楽の趣味が幅広く、お年相応の懐かしのメロディー(三橋美智也など)はもちろん好き。さらにはビートルズ、ボブ・ディランなど洋楽にも精通。日本の歌謡曲にも造詣が深い方です。

デイサービスもご利用の方で、入浴介助中にスマホでお好きな音楽を流して楽しんでもらってました。そこで色々教えていただいて、音楽友達みたいになったんですよね。入浴中に色々と教えていただけました。

私のしらない日本のバンドを教えてくれるんですが、こないだは「ボブズ・フィッシュ・マーケット」をオススメしてくれてかっこいい!と震えましたね。

そして本題。昨日、訪問介護で掃除や買い物終わり一息ついた時におもむろに「そこのギターとってくれる?」と。渡すもチューニング合ってないみたいで「、、、だめだ。じゃあアカペラで。」と、一曲いきなり歌い出した。凄く良い曲で「男らしいってピエロになることさ」みたいな歌詞の部分にぐっときてしまった。歌い終わって、拍手。恥ずかしそうに「ギター練習しときます」と。 いやあ、思わぬ場所(利用者さんのお宅)で素晴らしいライブを聴かせてもらった。曲を聞くと「ザ・ディランセカンド」の「男らしいってわかるかい」という曲だった。原曲はボブ・ディランだそう。

曲もいいんだけど、歌声が良かった。その方の人生も乗っかってるのと、何だか私に向けてのメッセージにも感じて。 失礼します、と退室した後帰り道に曲を探して聞いて帰りました。私もギター練習しておこうと思いました。

(追記)この文章は個人の特定を避けるため、個人情報的な部分の、障害の状況や利用サービスなどは実際と変えて表現させてもらっています。エピソードは「ほぼ」事実ですが、創作的な部分があることをご了承ください。