デイサービスの送迎中に利用者さんがつぶやいた言葉に感銘を受けました。

以前あった話です。デイサービスの帰り道にて。長年教師をしていた利用者さん。「私ってものを知らないのよ。教師の世界しか知らないから。もし、失礼なことをやってたり礼儀知らずだったら教えてね」と半分の年もいかない若造の私に何度もおっしゃっていた。

きっと、現役の頃からお友達にこういうこと言ってたんだろうなあ。あらかじめ言っておくことで周りも言いやすいし。でも中々言えることではないですよ、、教えてもらおうという謙虚な姿勢ができることに尊敬です。私も介護職オンリーで一般企業の最近の常識とか知らない。自分より年が下な人に対して、同じことを言えるようになろうと思いました。

書きながら思ったのは、本当に何か礼儀知らずなことしてるのでは?という恐怖感、不安感。こういう感覚をずっと持ち続けてこられたんだろう。自分を振り返ってみると、弛んでないか?同じ業界内でうまくできていて安心しきってないか?とハッとしました。

「あなたとは、毎日顔合わせて、こういう感じで親しくなれたんだから、はっきり言っていいのよ」とも。確かにこういうこと頼むのは、ある程度関係性が構築されてないといけないかも。と、いうことは、私を少し信頼して下さったのかな、、とちょっと嬉しくなりました。

認知症で短期記憶障害がある方なので、この話を10回はくりかえしていた、、。 それだけ言っておきたい感情があり、それを引き起こしたトリガーとなる出来ごとがあったのかな、とその気持ちや状況に思いをはせました。

私は、「そうしたら、何か気づいたことがあったらお伝えしますね。代わりに、私も若造だから礼儀知らずなことがあるとおもうので言って下さいね」とお願いしました。「そうね!いいわね」と喜んでもらいました。(了)

介護職のメリット

私は介護職としてグループホーム6年、デイサービス4年と約10年働いています。入居系と通所系と働いてみて、介護職にどんなメリットがあるのか?を今日はまとめてみたいと思います。

まず、グループホームとは小規模で家庭的な環境で24時間お世話をする施設です。認知症対応型なので、認知症の診断がある方でないと入れません。料理や洗濯を入居者さんと一緒に行うので、比較的身体が元気な方が入ることが多いです。一方、デイサービスは通所サービスともいいますが、日中、車で送迎し屋内の施設でプログラムを楽しんだり、昼食を一緒に食べたりして過ごします。私はデイサービスを二箇所経験しており、どちらも地域密着型という小規模な施設でした。最初はプログラム優先のデイ、現在働いているのはプログラムなどはなく、その場で希望が出たことを過ごしてもらう方針のデイで、昼食も一緒に作ったりと、どちらかというとグループホームに雰囲気が近いです。

さて、介護職は大変、きつい、夜勤もあるし、、、とネガティブなイメージも多いと思います。すごく個人的な意見でメリットをあげていきたいと思います。
まず第一は、私服で通勤できる!ですね。スーツで通勤する介護施設はあまり聞かないですね。デイサービスではユニフォームがありましたが、通勤時は私服通勤でした。毎日好きな格好をしたい、ファッションが好きな方は一般企業より嬉しいのではないでしょうか。

第二は、シフト制だと自由な時間が多い!です。グループホームなど入居系ではシフトのところが多いと思います。土日休みじゃないのは嫌、という方も多いと思いますが(ぼくもそうでした)、実際働いてみると、平日の休みはどこも空いているし、役所の手続きもスムーズ。独身の方などは良いと思います。早番、日勤、遅番、夜勤とありましたが、遅番、夜勤などは日中の時間もありますし、割りと時間を活用できるメリットが有ると思います。

第三は、介護技術が子育てに生かせる!です。私は息子が一人いますが、小さい頃のオムツ替えなどをしながら、介護職やっていて良かった~と思いました。オムツの止め方、便が出たときの対応など。着替えも、手を通してたくしあげてから履かせる等は職業柄、つい無意識にやってますね。入浴介助などもそうですし、体調不良時や緊急時の対応方法なども共通する部分がありますし、薬の知識もある程度あるので塗布薬で悩むときなどは介護の経験が役立ちました。

最後に、結構大きなメリットですが、転勤がないです。大きな法人だと分かりませんが、ほとんどの介護現場ではいきなり知らない地域への転勤はないと思います。そういった意味では、住み慣れた地域でずっと働きたい方にとっては介護職は向いてると思います!

以上、介護職のメリットをつらつらとあげてみました。これを読んで、介護業界も中々いいかも?と思ってもらえたら嬉しいです。

認知症ケアと「支援」

今日は認知症ケアについて書いていきたいと思います。私は介護職として10年ですが、まだこれ!と確立したと感じていないところが認知症ケアです。その位奥深いし、正解がないのがこの仕事ですね。
よく「支援」ということばを使うのですが、介助と何が違うのか?できないところをお手伝いする、それは当たり前ですね。例えばオムツ交換、入浴、着替えのお手伝いをする。(そういった場面でも「支援」かそうでないか、の話もありますがそれはまた別の機会に)その大前提があった上で、その方のやりたいこと、またはやったことがないけど初めてのことにチャレンジする気持ち、を引き出すことが「支援」だと自分では感じています。引き出す、というのも支援者視点の言葉ですね、、、引き出される、つい出てしまう、というニュアンスのことばがあるといいのですが。

普段出すことのないできることの可能性が導き出される。ちょうど今日の職場で、いつもお誘いしても「私はいいです」とおっしゃる男性の方に対して支援と感じる場面がありました。パーキンソン病・レビー小体型認知症の診断がされていました。いつもソファに座ったまま過ごされるのですが、本日は「調理の場面でなにかお誘いしてみよう」とスタッフで相談していました。ただ他のスタッフから、「Aさんは家で料理しないから断られるんじゃないか」という危惧の声もありました。

そこで、私がしたことは、いつもしていただく園芸活動にお誘いし、キッチン近くのテーブルでプランターの小松菜を収穫していただきました。その作業する隣に食材のえのきとボウルを用意しておきました。そこで収穫終わったあと、「すみません、えのきほぐすのお手伝いしてもらえますか」とお誘い。どうかな、、断られるかな?とドキドキしていましたが、なんと「いいですよ!」とお返事が。とても丁寧にえのきほぐしをしてもらえました。これで終わりではありません。作業が終わって手を洗いに台所に行ったところで豆腐がまな板に乗っていました。私はとっさにアドリブで「豆腐切るのもお願いできますか」これも了承してもらい、大きなサイズでしたが切ってもらえました。
ここで大事なのは、豆腐のきれいな出来を優先しないで、Aさんが包丁を使うことを重要だと考え、お手伝いしていただくことを優先したことですね。

御本人にやってみようかな、と思ってもらえる声掛け・環境設定。これらが支援だと感じます。今日はそれがある程度実践できた日でした。。

久しぶりの更新

2023年になりました。最近はツイッターなどで気づきを投稿していましたが、これからブログでも改めて書いていきたいと思います。

1 ワークショップのアイデア
2 介護職としての気づき
3 介護・認知症関係の読書レビュー
などを考えています。昨年は転職もあり、ワークショップはできませんでした。読書時間は少し増えたため、色々気づきがありました。それをこちらでもシェアしていこう。
それでは皆様、本年も宜しくお願い致します。

「看取り医独庵 漆黒坂」をよむ

前回の記事で読んだ「医者がぼけた母親を介護する時」、この作者さんの別名義の時代劇シリーズ。江戸時代の医療の詳細と、時代劇のケレン味が描かれる。

(画像をクリックすると商品ページへ飛びます)

浅草で開業する独庵は江戸でも評判の医師、そして剣の腕もたつという設定。医者というよりも科学者のような振る舞いで、理由の分からない病気にも誠実に向き合っていく。ここは医療ミステリのような趣があり、謎の症状から病気が解明されていくプロセスがとても面白い。独庵の患者によりそっていく姿勢、医療に対しての考え方などは作家さんの考えが反映されていると感じる。これは「医者がぼけた母親を介護する時」を読んでいたから余計そう感じるのだと思う。このノンフィクションはだいぶ昔の作品だが、考えや姿勢は一貫している。

そして、江戸時代の病気の名称などは興味深かった。介護職として、病気の知識は全般的に必要なのだがこういう昔からの経緯を知るとより関心が増すような気がする。例えば、糖尿病は消渇(しょうかつ)、胃が乾燥するため水を飲んでも乾きが止まらず、食べても飢餓が続き、小便は白っぽく甘みがする、、、と江戸時代の本に書いてあると紹介される。麻疹を取り上げた回では、現在の新型コロナにおけるパンデミックを想起させる。最後には精神障害、妄想のような症状が登場し、介護職としてはこの第四話が心に残った。独庵も対処法や治す方法が分からないのだが、患者に寄り添い、関係を作ってその中でヒントを探していく、、、という対応方法は、きっと現在の精神科でも一緒だろうと考える。そうそう、あけっぴろげに本心や事情も話してしまう、というのも必要なことだと気づいた。

と、、真面目な本かと思われそうだが、各章の最後では悪党たちを独庵がバッタバッタと斬りまくる、、、。突然このシークエンスだけ、テレビの時代劇風になるのが面白い。医者の独庵のキャラクターなら、命の大切さを知っているのだから殺さずに懲らしめるだけにする気もするのだが、このシーンは何も考えず楽しめば良いのだろう。このぶっ飛び具合がクセになる。

シリーズが人気らしく、全3作出ているのだがこの本は2作目。いきなり2作目から読んでも楽しめる。小さな虫が起こす病の話など、現在の病気でいうと何になるのだろう?と疑問があったり、糖尿病の章の解決のメカニズムも、もっと知りたいと思ったり。誰か独庵シリーズの病気を解説しているブログがないだろうか。または解説本で作品に登場する病気を現在の視点で解説してほしい、、、。

「医者がぼけた母親を介護する時」を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

「医者がぼけた母親を介護する時」米山公啓著を読みました。

・医師で作家である息子さんが書いた、自分の母親の認知症介護の記録、ノンフィクション。父親も開業医という医者一家。認知症が発症し看取るまでの9年間(1990年~1998年)の記録。出版は2000年。(この本では認知症ではなく、痴呆と表記)

・登場する母親の病状は、生活習慣病から来る脳血管性認知症。

・この作品のすごいところは母親の手記を載せているところ。色んなところにちょっとしたメモを取る方だったらしく、亡くなってから出てきたメモ書きを紹介している。病気の進行でどんな心情だったのかが痛いほど伝わってくる。現在、認知症の方本人からの発信が多くなってきているが、20年前にこうした本が出ていたのか、という驚き。

・主で介護する父親も医師なので、認知症ケアについての対応が淡々として冷静だと感じる。参考になる部分も多かった。

以下、気になった部分の抜き書き。

・最初に気づいた症状は、最新機器の操作(息子が買ってあげたラジカセ)が何度説明しても覚えられなかったこと。

・母親は48歳で血圧が175/110。降圧剤を使用していたがめまいなどがあり、十分に下げられなかった。副腎からアルドステロンというホルモンが多量分泌されるアルドステロン症という病気だった。(当時は判明せず)

・性格的には楽観的でおおらか、人懐っこいタイプ。甘いものや塩辛いものが大好き、コーラを買い置きしてラッパ飲みしていた。

・61歳で心房細動という不整脈があり、脳の動脈がつまる脳梗塞のリスクが高かった。

・64歳頃から疲れやすいの訴え、昼過ぎまでごろごろするようになった。

・「夕飯は何がいいと思う?」→自分で考えられないから他人に聞く。

・焼き茄子を真っ黒に焦がす・野菜がたくさんあるのに八百屋に注文する。→どういうメカニズムか?

・絵をかくのを夫がほめる→プライドが高い方だったそうで、褒められるのは母を気持ちよくさせ、症状を落ち着かせるのに有効な手段だった。

・日中近所の人2人に介護を頼むことにした→1992年の頃。

・夜間の失禁が増え、おむつをつけるのを拒否→「先生(夫)が夜起きなければならないから協力してくださいね」→渋々納得:強制するのではなく、相手をたて協力してもらう。→夜間失禁の原因はなんだったのか?おむつをつけずに対応はできないものか?

・早朝から「結婚式に行きます」と支度をはじめる。あわてて結婚式の支度をした記憶が残っていて、その日時がわからなくなり今日がその日だと思っている。本人にしたら切実な問題で焦っていることになる。

・母の奇妙な行動も、時間と日にちが間違っていなければおかしなものではない→!!素晴らしい指摘。その時間、場所がズレていることがおかしいだけなのだ。行動としてはおかしいものではない、「一見」おかしい行動と考えることが大事。

・記憶は常に時間と一緒になって脳にしまいこまれている。

・周囲の人にとって非常に奇妙に見えたり、おかしいと行動でも、本人はそう考えることしかできないということを理解する必要がある。そこがぼけ思えるの介護でもっとも重要なところだ。

・夜中に失禁してぬれたおむつを便器に流してトイレをつまらせてしまう。夜中に起きるとトイレの方向が分からず、隣の部屋を濡らしてしまう

・オムツを外し、パンツと寝間着だけにして廊下の電気をこうこうとつけたままにした。するとなんと途中でもらさなくなった(!)自力でトイレに行きたい気持ちが強く、寝起きでウロウロしているあいだに失敗していた。父の観察と工夫で、トイレまでの通路を明るくしておくことが大切とわかった。

・医療関係者は病気になったところで患者さんとかかわるが、家族はそこに至るまでの過程を同時に体験し、苦しんでいる。その部分を医者はなかなか知ることはない。

・医療は医者やナースから見えるものがすべてではない。その意識を持つことは重要。

・ぼけの人の介護とは、悪徳業者の介入を防ぐことも含まなければならない。

・家族がぼけの相談に来たときは、一冊でいいからぼけに関する本を読んでくださいと勉強することをすすめる。

・夜、ごそごそ動いて眠らないことが多くなったので、父は寝る前に音楽と聞かせることを思いつく。CDラジカセを買って、毎晩、子供の頃の音楽を聴かせると小声で歌いながら眠ってしまうようになった。クラシックはだめで、童謡や古いヒット曲だと落ち着く。

・「夜寝なくて困るんですよ」家族にとってみればとんでもない夜の大騒ぎがあり本当に手を焼いていることが多いのだろう。その家の内情まで思いをめぐらせているか。

・市長選挙があり、母の希望をきくと「投票にいきたい」というので父は前日に投票するひとの名前をかく練習をさせた。当日は投票所で自分の名前を書いてしまう →でも、投票に生かせてあげる!というのはすごいこと。尊厳の保持ってこういうことか。なるべく希望を聞いて、やりたいことだったら希望を叶えてあげることが重要。

・ぼけを介護していく姿を、もっと多くの人、とくに若い人に見せることは、家族やぼけた本人にとって大切な役目。

・アメリカのレーガン大統領はアルツハイマー病と公表した。

・夜中、幻覚があり、介護者が女の子を連れてきたという。父は「人間の頭の中はだれにも見ることはできないだろう。だから人の考えてることは他人には理解できないんだよ。その子供は一枝の頭の中にいるから、だれにも見えないんだよ」そんな説明をすると納得して、妄想は消えてしまった。 →そんなことがあるのか!論理的に説明する、という道もあるしその方が相手を尊重しているかもしれない。

・医学書では妄想は周囲の説明では納得しないとあるが、こういう説明で妙に納得してしまうことが、母の場合はたびたびあった。

・妄想が出るというのは、まだまだ脳がそれだけ論理的な思考回路を保っている意味もある。どんな形でもコミュニケーションが取れることは母の救いだったのかもしれない。

・喜子さんはそんな母の心の葛藤を理解し、励ましていた。介護というと、日常生活が楽に暮らせればいいという視点になりがちだが、本当は心の支えとならねば介護にはなっていないのだと気がついた。

・ぼけの介護は、努力したことに対して非難されるという、不条理な状況になる。

・住宅改修は変化していく状況に対応していくものでないと無駄になる

・老人向けのマザーリング。ボランティアの話し相手組織

・福住さんという介護職。人の話を聞き、その人の昔の楽しかったときのことを一緒になって話せるという非常に貴重な才能があった。

・運動能力が落ちるというのは、脳の中で、神経の細胞そのものが壊れているか、あるいは神経細胞から伸びている軸索という電線のようなものが途中で切れてしまったことを意味する。

・ぼけの介護は、その人の性格、社会背景まで考えてやらないと、なかなか本人を満足させることはできない

・1994年時点の話。介護保険前のため、社協に連絡してヘルパーを派遣してもらった。

・医者というのは、いくら臨床経験を積んでみても、患者さんや家族の苦しみを自分のものとしてとらえることはできない。

・血液中の赤血球が増える多血症という病気。普段から血液中の水分が足りなくなる。

(血液の粘性が上昇することで頭痛やめまいが起きたり、顔が赤くなったり皮膚にかゆみが出やすくなります。また、赤血球だけでなく血小板が増加するため、血管のなかに血栓ができ、手足に焼けるような痛みが生じることがあります。脳梗塞や心筋梗塞のリスク増)

・脳の中に血管が詰まったところがたくさんできる、多発性脳梗塞に多い症状である小刻み歩行(少歩症)が、かなりひどくなってきていた。歩行のリズムが失われた状態。そのため、号令をかけることで多少足が前に出やすくなる。「いっちに、いっちに」と号令をかけて階段をのぼっていく。

・介護というものは、たとえ日中はデイケアやデイサービスに行ったとしても。家族の負担が全部消えるものではないのだ。

・老人医療の最前線にいる医者にとっては、変化のない日々はかなりつらいものだ。私はそんな状況でも、寝たきりの患者さんのところに行くことが、その患者さんの存在を認めることになるのではないかと思っていた。 →人として接する、ユマニチュードと共通。

・だれも訪れない病室に行き、患者さんに声をかけることが私の仕事ではないか、と思うようになった。

・介護の本当の理由はそこにあるのではないか。褥瘡ができないようにする、食事の介助をすることも重要だが、本当の目的は、どれほど重症になっても介護し、その存在を認めることなのではないだろうか。

・在宅医療の重要な条件のひとつが、いざというときにすぐに動いてくれる医療機関を知っているかどうかということ。

・どんな医療機関も、すぐには入院させてくれない。だから普段からどこかの病院にかかって、コネクションをつけておくことも必要。

・医者というものは、一度みた患者さんには責任を感じるものだ。

・介護するために会社を休むことと、仕事をして介護の費用を稼ぐことは同じ意味だと考えられればかなり家族は楽になる。

・入院のやっかいな点は、すべてまかせきりにできない点。汚れた衣類を取りにいき、代わりに洗濯をしたものを持っていかねばならない。有料でいいから洗濯して消毒までしてくれるサービスがあるべき。

・母が病気になって、父といろいろ話す機会がふえた。それは母が父と私にくれたプレゼントのように思った。 →介護のよって起こる良い状況もある、、、

・前立腺肥大などがあると風邪薬の副作用で尿閉を起こすことがあり、ときどきお年寄りが脂汗を流して外来にやってくる。

・家族にとっては、資格よりも介護する相手を気遣う心をもてるかどうかということ。

・顔を認識するのは大脳の右側でおこなっていて、その機能が壊れると相貌失認といって人の顔を区別できなくなる。脳梗塞などで、右の後頭葉が壊れると起きてくる。

・新しくなった診療所を見せることができなかった。生きているということは、体験できるということであろう。それができてこそ、自分の存在を確認できるような気がする。 →色々なところに連れ出したり、体験してもらうこと。それこそが例え介護を受ける状態になっても、自分の存在確認。 →どうしたら、色々な体験をしてもらえるか。

・名医の定義:いざと言うときにすぐに動いて病院や医者を紹介してくれる医者だ。一般にはかかりつけの医者が大切になってくる。そこからの紹介があるのとないのでは、病院の受け入れが違ってくる。

・手を握って離そうとしなくなる。把握反射で、大脳の前頭葉の機能が低下すると出てくる症状。

・私は家族がおかしいと指摘した場合は、医者がもっと慎重になり、診察や検査をしなければいけないと思っている。しかしそれは難しい。患者の家族からの指摘に従うことは、自分がきちんと診ていなかったことを証明することになるから医者はそれを無視し、自分を権威づけようとする。

・口から物を食べるというもっとも基本的な運動能力を維持するために、人間の脳神経は二重の構造をもっている。手足の運動神経は左右の脳の一部が脳卒中で壊れれば、反対側に麻痺などが出る。飲み込むという運動は喉を動かさなければならない。その動きは脳神経の一部で支配され、左右両方で交差してコントロールしている。片側が壊れても、十分機能が保たれるようになっている。・つまり飲み込めないという症状は、左右に複数の脳梗塞の跡があるということ→左右どちらかこわれても飲み込みできるしくみ!スゴイ!

・ときどき、病気の意味を考えることがある。病気が悪であるなら、病気になりにくい人間だけが生き残ってきたはず。進化論的に考えれば、いまだに病気がこれだけあるというのは、何か別な意味があるように思えてならない。病気がなくなることなく、人類とともにあるのは、ゆっくり遺伝子を変化させ、新しい環境へ適応できるように人類が変わっていくことのできる手段を残しているのかもしれない。 →コロナ禍の今、この文章を見るとハッとしてしまう。

・ロックド・イン症候群は脳卒中の特殊なタイプで、意識も判断の能力もあるが、手足は動かず、眼球の動きや瞬きだけで意思を伝えることしかできない状態をいう。

・患者のわずかな訴えや反応は意識のないものであると見ていたが、家族の視点は違ってくる。医学教育では患者さんのわずかな変化に気がつかねばいけないと教えられるが、臨床を経ていくと次第にその視点が失われ、自分の経験していること以外を排除していくようになるのは不思議である。

生活の台本ワークショップ第一回 レポートです!

こんにちは、土田です。年末の慌ただしさや色々なニュースに心が落ち着かない日々ですね。ただいま12月20日(月)の早朝、近所のファミリーマートのイートインコーナーでこれを書いています。ワークショップのレポートを書こうと思いつつ、職場や所属劇団のアレコレで日にちが立ってしまいました。でも、落ち着かない中では書きたくないな、、、となんとなく感じていたのですね、これは先日のワークショップが、自分にとって大切な経験だったからだと思います。

さて、レポートの内容に入っていきましょう。12月11日(土)10:00~11:30、生活の台本ワークショップを開催しました。これは私が主催していた「介護にかかわる人のための演劇ワークショップ」で行っていたオリジナルワーク、「生活の台本」をメインに据えて構成したものです。今回、オンライン開催でビデオ通話アプリZOOMを使用しました。オンラインでワークショップをするのは今回初めてです。企画した頃は新型コロナもだいぶ下火になっていた頃で、今後はリアルで開催かな、なんて考えていましたが 、、、。新変異株が出てきたこともあり、オンライン開催は今後も継続になりそうです。

アシスタントは田澤恭平くんにお願いしました。「介護にかかわる、、、」では共同主催だった彼はZOOMの達人。技術的な面でだいぶサポートしてもらいました。田澤くんがいなかったら今回ワークショップは成り立たなかったです。そして、今回の参加者は3名。過去のリピーターの方と初参加の方!ご参加、本当にありがたい限り。演劇に関わりが深い方が多かったです。さらに参加機材がスマホ、タブレットそれぞれで、ZOOMって操作方法も機材ごとに変わるんですね。オンライン会議の奥深さ!?を感じました。ZOOM、もっと勉強しようと思います。

9:45に開場、少しずつ参加者さんがいらっしゃいます。今回のワークショップの目標は、「ようこそ」とウェルカムな気持ちをこめて言う、でした。オンラインだと緊張するので、そこだけはしっかりしたかったんですよ。10:00にスタート。挨拶、自己紹介をしてワークショップの簡単な説明を行います。そして、ワークショップのお願い事を3点。「画面共有します」と言いながらアナログ手書きの用紙をお見せします。そして参加者さんの自己紹介。①今回呼ばれたい名前、②本日の調子や皆さんに伝えたいことなど何か一言。皆さん、少し緊張しているご様子!?

最初は導入・ウォーミングアップから。まず、名前の表示を呼ばれたい名前に変更して、その後ろに状況を書いてもらいます。「土田@自宅」みたいな感じです。これも接続機材によって操作が違ったりして、もっとうまくお伝えできると良かったな。

「リアルだと歩きまわりながら握手して挨拶したりしますね、オンラインでも握手していきましょう」と「オンライン握手」のワークへ。私がお一人を指名して、お名前を呼びます。「はい」とお返事いただいたら「宜しくお願いします」と手を伸ばして握手のジェスチャーをします。握手した相手は、次の相手を指名して同じことを繰り返していきます。手の角度や位置がちょうどいい位置に来ると実際握手してるように見えて面白かったです。そういえばある介護の研修会で講師が生徒全員とのエア握手をやっていたのを思い出しました。エア握手は感染症対策にいい感じかもしれません。最後は全員で両手をクロスして、輪になっての握手をイメージして終わりです。

そして、どんな人が参加しているための質問コーナー。これは、ZOOMのチャット機能を使います。「好きな食べ物」や、「好きな役者」を聞いたりしました。佐野史郎さん等のお名前が出ていましたね。ジョン・ローンという役者さんは知らなかった、チェックしてみよう。

他の参加者さんと馴染んてきたところで肩のストレッチへ。オンラインは身体が普通と違う疲れが出ます。前もってほぐしておきましょう。肩の上げ下げしたあと、肩を両手で触って肘をぐるんと回すのを3回。そうしたら、「画面の四隅」というワークへ。右手の指を右上の画面の角に当てます。そこからオンラインの画面の端をなぞって一周します。これ、私が過去にやって苦戦して面白かったワークです。とにかく「何で真っ直ぐいかないの?!」と自然と笑顔になります。左手の指先もやったあとは、手のひらを広げて横に動かしていきましょう。画面の汚れをキレイにするイメージです。終わったあとはなんだか皆さんの顔色も良くなった気がするのが不思議です。

さあ、ここまでがウォーミングアップ。ここから本題の「生活の台本」ワークに入っていきます。最初に簡単なレクチャー。「認知症とは何か?」の定義を紹介します。結論から言うと、認知症とは「暮らしの障害」、イコール生活障害。では「生活とはなにか?」これをみんなで考えていこう、というのがこのワークショップです。ここで、ZOOMの投票機能を使い、簡単なアンケートを取りました。介護の経験があるか、認知症の方と関わったことがあるか?などをお聞きしました。

ここで、生活の台本ワークのお題の発表です。今回のお題は、、、「歯みがきをする」!これを分解していきましょう。5分の時間内に、用意していただいた紙に書き出してもらいます。例えば1,洗面台の前に立つ、2,歯ブラシを手に取る、、といった感じです。次にこちらで指名したペアになってブレイクアウトルームへ。まずは一分で「読む人」「演じる人」を決めてもらいます。1分たち、メイン画面に戻ってきたら、誰が読む人で演じる人か確認。再度同じペアで、今度は5分、ブレイクアウトルームへ行きます。ここはお互いに書いたものを読み上げて、お互いの内容をシェアしてもらう時間です。感想を言い合ったり、相手が読んだ行為を実際に動いてみたり。ここで、お互いに質問しあってもらうでも良かったな。置き場は?とか歯ブラシの色は?など、よくわからなかった部分を質問をし合うと面白いかもしれません。

5分のシェア時間が終わったところでいよいよ発表です。今回は2チームということもあり、代表者でZOOMじゃんけんをしてもらいました。勝った方が先行後攻を決めてもらいます。発表は、「読む人」が自分の書いたものを読む。「演じる人」は読まれた行為を実際に演じてもらう。「演じる人」はZOOMのスポットライト機能で画面にアップされていて、読む人の声に従って、画面の中で演じてもらうわけです。そして終わったら交代。を行いました。

いやあ、、、面白かった!実は個人的には「地味なワークだし、淡々と終わるかな?」なんて考えていましたが正反対でした。以前もこのワークで結構笑いも起きていたことを思い出しました。最初のペア「読む人」役の「ここにモンダミンがあって、、、」の言葉でまず爆笑。固有名詞が出てくるととたんにイメージが湧いてきます。そのペアの方、「まずコップの汚れを確認する」というのもその方の個性が出てますね。他にも、何でそんなところに?!という置き場だったり、スマホを見ながら歯を磨くなんて話が出てきたり。いやあ、豊かな時間でした。「生活」って本当に一人ひとり違うことを実感。無理に面白いことしなくても、何より面白いのはその違いなんですね。自分では普通のこと、当たり前のことが他の人にとっては面白かったり興味深かったりする、ということに気づきました。参加者さんの分解の仕方は2タイプに分かれていました。歯を磨く行為そのものを細かく分解して書くタイプと、歯磨き自体はサラッと書いて、その前後の準備や片付けに詳しく書くタイプ。私も自分で書いてみたのですが、行為としての歯磨きを分解する前者のタイプでした。準備や片付け、磨いている状況など、意識していなかった部分がたくさんあることに気づきました。今回の参加者さんように、「自分の、普段やっている様子」や「どんな場所でやっているか」なんかがイメージとすごく面白くなるんですね。だから、台本のト書き風じゃなくて、「この洗面所はすごく狭くて、、」とか「この左側にお風呂があって、、」とか、「鏡はこのぐらいの大きさで、、、」など、語りで解説が入るといいかもしれない。語り方も楽しめるように検討してみましょう。

最後は、生活の台本ワークの振り返りをして、終了です。「いろんなことを同時にしかも考えずにやってることに気づいた」「相手の書いたものを演じるから、細かく書いてもらうとやりやすかった」「普段と違う他人の動きをやるのが面白い」、「生活と演劇がつながった」などの感想をいただきました。

以上でワークショップ振り返りレポートは終了です。ワークショップ後、良い時間を過ごせた余韻が数日続いていました。ご参加いただいた皆さん、アシスタントの田澤くん、関心寄せてくださった方、皆さんに感謝します。次回の日程は決まっていないですが、またタイミングを見てやりたいですね。今後は自分のペースでゆっくり進んでいきます。開催の際はまたこのブログ等でお知らせいたします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

12月に「生活の台本ワークショップ」開催します!

久しぶりに個人企画のワークショップを開催します。

「生活の台本ワークショップ」
介護の本質を体験することで毎日の介護がかわる。
演劇の要素を用いて、生活行為の分解を体験し、参加者同士で共有します。介護とは何か、生活とは何かを考えられる体験ができます。演劇経験なくても大丈夫です。

日時:2021年12月11日(土)
   10:00~11:30
場所:オンライン上のビデオ会議ツール
対象:介護・演劇に興味ある方ならどなたでもZOOMにて開催
参加希望の方は後日リンクをお知らせします。参加費:無料
募集人数:8名
申し込み締め切り日:12月9日(木)
申し込み先:info@tsuchidayu.com
(お名前、メールアドレス等連絡先をご記入ください)
または土田まで参加希望と直接メッセージ送っていただいてもOKで

本田桂子著「父・丹羽文雄 介護の日々」を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

本田桂子著「父・丹羽文雄 介護の日々」を読みました。知る人ぞ知る多作の作家、後進育成やアマチュアゴルフの発展などに尽くした丹羽文雄氏。その長女である作者の両親の介護についての1997年刊行のエッセイ。傑作。

父はダンディな小説家だったがアルツハイマー型認知症となり、困った状況もあるが、仏様のような感謝をする姿が描かれる。一方その妻である作者の母は、完璧なしっかり者だったが脳血管性認知症となりまだらボケの状態、不満病と言われる位、周囲に悪口や批判ばかりするようになる。この両親の介護の経緯やその取組みについて具体的に描かれている。すごく読みやすくて面白い!この本で読書会したい位です。4つのポイントとして、介護に役立つ点、演劇の視点、カルチャーの視点、家族の物語の視点で読める。
ここでは演劇視点から気になったことを紹介。

・昼寝明けの父が「おい、女将、預けていたピストルを出してくれ」「でも、外は暗いですよ。明日の朝になさったら。」と著者はとっさに旅館の女将に「変身」する。
・朝ごはん終わったあとに「いくらだ」と言う。「お夕飯と一緒にいただきますから結構ですよ」気になってなんどもいくらだと聞く「千円です」というと、「ごちそうさま」と渡して落ち着いた。
・新聞社に勤めている孫に「どこに勤めているんだ」「読売新聞社です」「ああ、原稿ができているから持っていきなさい」「ありがとうございます。それではいただいてまいります」家族、介護専門のお手伝いさんが皆、こんな対応ができている。この本を読んで、対応が参考になった当時の読者の人は多いんじゃないだろうか。

それと、後半、作者がアルコール依存症になり、その対応についても書かれている。夫は酒を飲めないが夫婦で入院、完治することはなく毎日「今日は飲まないでおこう」という決心を続ける以外ないと学んだそう。これも当時としては知らない人も多かったんじゃないだろうか。「ケアする人のためのケア」の必要性についても書かれており、今でも参考になるところが多々ありました。グラフィックレコーディングしてみたのでそれも載せておきますね~

「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること」 を読む

専門書100冊チャレンジ:認知症ケア、演劇、ワークショップ、介護に関連する書籍(自分で専門書と感じればOK)を100冊読んでレビューします。

7冊目:「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること 」河合雅治を読む。 元産経新聞論説委員のジャーナリストの方が書いた本の2作目。一作目は読んでないのだがベストセラーだそう。今作は少子高齢化・人口減少社会が個人にどんな影響をもたらすか、ギフトカタログのように一覧してみるというコンセプト。 すごく悲観的にシュミレーションして書いてあり、実際にこれらのことが起きると考えると、とても背筋が寒くなる。少子高齢化、人口減少、とフレーズで止まるのではなく、そうなったらどんな日常になるだろうか?と考えることが大事だと思いました。山崎亮さんの「コミュニティデザインの時代」という本は、人口減少を逆にすごくポジティブに捉えている。とても対照的。両方とも読んでおくと多面的に考えることができる。

・2016年、初めて年間出生数が100万人を割り込んだ。

・合計特殊出生率をおいかけても実態は把握できない。過去の少子化の影響で、今後は子どもを生む女性の絶対数が減っていくから。

・2017年、65歳以上高齢者の3人に一人は80歳以上。2043年(22年後)は総人口の7人に一人が80歳以上。高齢化率(総人口中の65歳の割合)は36%を超える。

・高齢社会の次は多死社会になり火葬場が足りなくなる。同時に住職不足で葬式も法事も待たされるようになる。

・8050問題:1980年代に10代で引きこもった子どもが、そのまま年齢を重ね親は80代、無職の子どもは50代で経済的、精神的にも行き詰まる家庭が増加する社会問題。

・団塊ジュニア世代:日本で1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)に生まれた世代を指す。(現在47~50歳)第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる。2042年はこの年代が70歳に突入する年。2042年問題(高齢者数がピークを迎える)。団塊ジュニア世代は人数が多いため、10年前よりおよそ半分の水準で出世できていない。正規・非正規とも老後に貧困になる可能性が高い。

・刑務所内で高齢化が進み、刑務官が受刑者の介護をするケースが増えている。

・筆者は、個人でできる対策も紹介している。高齢になっての対策の一つに「起業」があった。女性起業家についてのデータで、起業の理由に「家事や子育てをしながら柔軟に働けるから」と。起業家は仕事が忙しくて大変だと思っていたが、自分のライフスタイルのために起業することもあるのか!!と驚き。起業にかけた自己資金は50万円以下が25%とトップ。元手が少ない分、起業家の手取り収入は半数以下が20万円以下。老後資金の蓄え、年金の足しとして考えれば大きい、と。なるほど~小規模な起業、という選択肢もあるのか!!それを知れただけでもこの本を読んだ甲斐がありました。