なぜワークショップなのか

先日の打ち合わせで出てきた疑問点。

なぜワークショップなのか?講義とかではだめなのか。

、、、うーん、これは自分が楽しそうだからとしかいいようがない。意識できてない理由があるんだろうか?

なぜ介護と演劇なのか、

介護と、認知症ケアと、演劇と、ワークショップと。それぞれの関係性がうまく構造化できていないようだ。

それと

自分のコアコンセプトである感情にかかわること。これをどう結び付けていけばいいのか。

悩みどころである。

そのほか、誰に?

どんな価値を与えたいのか?

などの話もあり。

 

ふと思い付いたこと

ダンスするように介護する、という言葉が浮かんだ。

介護するカラダ。

この仕事は、身体から切っても切り離せない。何故なら介護するのは自分の身体だし、その対象となるのは相手の身体でも有るからだ。

身体を自由にあつかえるようになれば、介護職も楽しくなるのではないかな。そう、それこそダンスするかのように

感染症に

なってしまいました。息子の保育園にて嘔吐発生。その後奥さんが嘔吐、自分も38℃の熱。下痢。

介護現場なので、、一週間お休みになってしまいました。

その間に職場で嘔吐三名発生。スタッフも一人発症と連鎖してしまいました。

いやあ。大変でした。その前に保育参観があって、他の園児さんと遊んでいたのでその時既にうつっていた?マスクをつけるべきだったなー。

いや、まさかシフト作るわたしがダウンしてしまうとは。良い勉強になりましたわ。

ワークショップ名刺作りました

それがこちら。介護福祉士の専門学校時代の恩師に会う機会があり、ものの5分で作ったのですが、自分で作ってなんですが良い出来。

それはデザイン的な面も含めて。こういう字体と文字の並び、好きなんですね。見ているとワクワクしてきます。職場でも企画書を出して提案してみたし、少しずつ動いている気がしています。

チラシもこのデザインぽく作ろう。

千の言葉より一つのジェスチャー

先日、利用者さんにお薬を飲ませようとして、悪戦苦闘していた。
「これ、食後のお薬です。」
「あら、ありがとう」
「置かないで下さい、粉薬だからお口へ入れましょう」
「そうね」
「ああ、ご飯にかけないで!」
「これなんなの」
「お薬です」
「飲んだことない」
「いつも飲んでますよ」
「あなた飲んで」
「いやいや。あのですね、、」

、、と言葉でいくら必要性を説明してもわかってもらえない。そんな時に

こうやって飲んで下さい

と、粉薬を飲むジェスチャーをしたら、一発で飲んでくださった。

お耳が遠い+認知症で現在の状況に見当をつけることが難しいかた。

たった1つのジェスチャーで伝わることもある。

ふれる その2

私前職はミシンの会社だったんですけどね、そこで、社内の洋裁部に入ってまして。(男一人だけだった)まあ、そこで洋裁の先生から教わったアイロンのコツが、アイロンはかける時間×押し付ける力×温度でしわの伸びが決まるのよ、ということだった。

何の話かと思われるでしょうが、これが前回の記事のふれる技術に通じるんじゃないかと思いまして。

ふれる、で必要になる要素を考えてみました。

まず、時間。長くふれるかすぐ離してしまうか。

次に面積。指先でふれるのと、手のひら全体でふれるのとは違う。

あとは、声かけも大事。いきなり無言でふれるのと、○○さん、とゆって触るのとは違う気がする。

以前何かのワークショップで、肩、といって肩にさわる。うで。といって腕にさわるワークをしたことがあった。単純なんだけど結構自分の中で発見があった。

あと、手の温度も関係してくるかもしれませんね。

ふれる

仕事していて、人の身体にふれる場面が介護は多いことに気づいた。こんなに多い仕事って他にあるだろうか?トイレ、入浴、起床、着替えなど。

ということは、ふれることを技術として高めなければならないんじゃないか。相手に不快にさせない、安心させる触れ方。意図が、伝わる触れ方。

介護の基本の一つは、「ふれる」ことだ。

帰ろかな

介護職の私。職場で認知症の方、帰りますとおっしゃることがよくある。

先日お聞きしたご家族の話。自宅にいても帰りますと言うんだそう。

実際にご実家が近くにあるのでそこに連れて行っても「ここじゃない」という。記憶の中にあるかやぶき屋根の家のことなので、現在の家に行っても違うと認識されるのだそう。

こういう話はよく聞くが、いつもせつないなあと思ってしまう。決して帰れない懐かしい暖かい我が家、、。

もし認知症の方に帰ります、と言われたらさてどうするか。
びっくりしたりあせって「ここがあなたのうちなのよ!」と説得しようとしても、きっとうまくいかない。余計頑なに主張されることだろう。

職場で私は、、「そうですか~帰るんですね~」と、笑顔でのんびりと答えることにしてる。その間、頭は高速で考えている、次の回答でどの方向にもっていくべきか、、、

①帰ることのできない事実を現実のまま伝えるか?
②相手の気持ちに寄り添う理由を作るか?
③帰りましょうと一緒に外に出てひとまわりするか?
④その他

その方法(引き出し)の優先順位をつけて、一番目がだめだったらこれをして、それでもだめならこうして、、、などを瞬時にシュミレーションをして、の一言。
「○○さん、今日はお迎えが来ますってさっき電話がありましたよ」(事実ではないけど、電話があると聞いたらひとまず納得されるんじゃないか、、短期記憶障害があるからこの話も忘れてもらえる可能性が高い)
「え、あらそうなの」(おっ、そんなはずないって怒らないぞ。これならお手伝いしてもらえそうだな)
「そうなんですよ~。待ってる間、私と一緒に料理してもらえませんか?」
「いいわよ」
(手を使う作業に集中したあとは帰宅のこと忘れてることが多いから、今回もそれでいこう)

みたいな感じで対応させていただいてますね。

書いてみて、対応の単なる方法論よりも、その対応を選択するにいたった思考プロセスの方が大事だということに気づきました。